左脳、死んでも生きてるってよ

障害者でもないが健常者でもない。普通でもなければ異常にもなれない日々。

夜空の向こうには明日が待っているのかな心のやわらかいところで朝日を見ようよ

SMAP

 

SMAPをヘビロテして聴いている。

もういない。

 

生まれた時からSMAPはそこにいて、好きとか嫌いとかそういうところを凌駕するような存在だった。見るのが当たり前という感じで笑ったり音楽を聴いたりしていた。キムタクはブレずかっこよく、中居くんは湘南ヤンキーで、慎吾くんは一番年下の元気っ子、草彅くんは演技力もありながら天然の部分もある中間管理職、吾郎ちゃんは我が道をゆくクールで文学的。そんな5人が当たり前だった。

 

平成31年、現在SMAPはいない。詳しいことはわからないけどバラバラになってしまった。ハッと思う。この人たちも人間で、成人男性で、社会人としてSMAPというグループとして働いていたこと。当時の自分にはもちろんわからなかった。

 

同じ歌を歌って踊って、同じような衣装を着て、それでも個々の個性を伸ばしてそれを仕事として生きて、アイドルとして誰かの支えとして生きて、普通の人間として生きて、それがとんでもねえということは、今だからわかる。

 

当たり前だと思ってた存在がそうじゃなくなること。それだって普通なことなのに、ついつい私たちは忘れてしまう。忘れてしまってから失くなっても普通じゃないことに気づいて恋しくなってしまう。一体彼らはどんな気持ちなんだろう。

 

あんなにたくさんの名曲があって、聴きたい人もたくさんいるのに歌ったり踊ったりできない今を、一体どう思ってるんだろう。普通に考えて義務教育よりも長い間定期的に一緒にいなきゃいけなかった存在ってどんな気持ちなんだろう。

 

本当に今更ながら、そんなことを考えながら「ダイナマイト」でヒャッホー!と言って踊ってみる。どんなに踊っても歌っても彼らには届かないんだろうな。

 

いろんなことが当たり前でない今、どれだけ命を使い切れるかと思うけれど日常の労働に流されて働いて食って寝るだけで時間が過ぎてしまう。あきれるほどにそうさ自分を守るのは自分しかいないのだ。心のやわらかいところってどこなんだ。教えてくれ。

 

こんな偉大な父の元自分としてい続けるkokiは強く健やかなんだろう。そのことはとても尊いことだ。元々有るものをわざわざ捨てることなんてない。そのままでいい。