左脳、死んでも生きてるってよ

障害者でもないが健常者でもない。普通でもなければ異常にもなれない日々。

聞いているか、戦士たちよ。聞けよ。

お盆。

OBON。

我らフリーター戦士には関係のない言葉だ。

 

昔々小さい頃は祖父母の家に帰郷して夏らしいこととかなんか普段食べれない魚とか肉とかいいものを食べさせてもらったり、そう言うことがあったけど毎回すごく嫌だった。なんせ関東から九州まで自車で半日ほどかけて父と母が交代で運転して向かう。今思えば飛行機が高かったかもしれないけどもっと交通手段あったんじゃね?とめっちゃ思うが毎年夏になると「夜逃げですか?」ってくらいに車にパンパンに荷物を詰めてその上に乗り、父と母は助手席、運転席にいる。姉は、スペースのほとんどを横暴してそのデカイ体をのびのびと寝っ転がり、私は違法入国者かと思うように隅っこで縮こまっていた。最悪だ。

 

家族で出かけてもどうせ姉と母が文句を言うし腹が減ったら文句を言うし、暑かったら文句を言うし、寒かったら文句を言うし、最悪だ。むしろ文句を言わないシチュエーションが思いつかない。とにかく家族で出かけても文句をいっぱい言われる〜終わり〜って感じだったので全く楽しい記憶がない。姉は「友達はハワイに行ってるのに〜うちもハワイ行きた〜い」とかぬかしやがって。待て、海外なんて行ったらこの文句が何倍になるってんだ?もっと考えて発言しろ!!と内心怒りでいっぱいだった。ただ、私は冷房の効いた部屋で笑っていいとも!が見たかったし、そのあとの昼ドラも鉄板だった。九州に行くと親戚もいて、毎度宴会をせねばならず、それも嫌いだった。どうせ「お姉ちゃんはこんななのになんであんたはそんななん」とか言われた。「なんであんたはそんななん」知るか。「将来何になりたい?」と言う大嫌いな質問には「何かの工場で黙々と働き、人と関わりたくない」と答えた。陰キャラにもほどがある。

 

そんな暗い幼少期を超えて、いろいろいろいろあって私も社会的な顔を作れるようになり、何より酒が飲めるようになったのがデカイ。酒を飲めば自分がその場に適した存在に溶け込むことができるようになった。ただの犯罪者予備軍のような陰キャラではなく。それでも家族の評価は変わらない。いつまでも「何もできない小学生」のような扱い。できないことをネチネチ言われ、ずっと家にいることをまるで現代社会の闇みたいな感じで言う。でも私は爆弾を作ったりダンボールで包丁を作ったりしているわけではない。そもそも鬱気味になってから現在はバイトしながら病院に通い、ヨガにも通い始めた。めっちゃ偉くない?全部自分で決めて自分で金払ってるよ?「いい歳してまだ家にいて自立してない」みたいな言い方されてるけど自分のお金は自分で払ってるよ?一人暮らししてる人には敵わんかもしれないけど、そこの伸びしろ、結構すごいと思うんだけど。きっとわからないんだろうな。いや、わかってほしいと思ってない。もう説得したり語り合う気力はない。それでいいと思ってる。

 

今年7年ぶりくらいに九州に帰郷した。祖父母どっちかの法事だ。祖母はハンバーグが好きなモルモットに似た可愛い祖母だった。病気になるギリギリまで軽自動車を自分で運転し、パズルが好きで、アホみたいにたくさん飯を作ってくれた。ボクシングや駅伝が好きで見るたび熱くなっていた。祖父はあまりみんなに顔を出さず自室にいて、外出も外食もテレビも騒がしいのも嫌いで動物も嫌いで、ノラ猫が家に近づくとものすごい形相で砂利を投げつけていた。そのあと振り返った笑顔は今でも忘れられない。

 

久しぶりに会った親戚は、歳のせいか丸くなっていた。しかし「え?チェイサーっすか?」ってくらいビビるくらい迅速に大量に酒を飲んでいた。想像していたような嫌ななことは特に言われなかった。会話の軸を完全にこっちでコントロールしていたからだ。ああ、大人になってよかったなと思った。嫌なことを回避できる。できないことばかりではない。できないことばかりでは、ない。

 

姉や友人がキラキラ眩しく活躍している中、自分は本当に価値がないと思った。そもそも「生まれたい」って言ったっけ?いや覚えてないんですけど。と心のそこは怒りでいっぱいで、まだまだ消化できていない。この怒りが消化できたら、輝けるんだろうか?それとも輝ければこの怒りなんてなくなるんだろうか?どちらにせよ「なかったことにはならないけど当人たちに自覚がない」。そんなこと一人でちまちま気にしても無駄。無駄すぎる。傷つけた奴らはヘラヘラ生きてる。

 

許さん。許さんぞ。「私も幸せにならなきゃ」みたいな感じで締めようと思ったけど全然無理。私が幸せになっても事実は消えない。お前らの中でなくてもな。

 

消えなくても消えないまま生きて行くんだ、戦士なので。