左脳、死んでも生きてるってよ

障害者でもないが健常者でもない。普通でもなければ異常にもなれない日々。

2018年、これだけ。

2018年

 

バイトバイトライブ心療内科バイトバイト休み休み。

 

年末か。

 

実感がない。27日はバイト納めをした。寝坊して微妙に遅刻して気まずい気持ちだったけど無事収めた。1月4日からもうバイト。でも金曜日だからすぐ休み。

 

数年前、会社員時代は年末ギリギリまで働き、年始は祖父に「会社に洗脳されている。お前は頭がおかしい。育て方を間違えた」という説教を受けてもう心身ともに限界だった。なんで私が責められなきゃいけないんだ。「お前が一人で生きていくという責任感がないからそんな会社にいいようにコキ使われるんだ。」と言った。会社の人たちはみんな好きだったから、会社の人たちを悪く言われるのは嫌だった。

 

確かに私はダメだった。しかし、そもそもの仕事の巡りとしてやはり帰れなかったり徹夜をしたりということがやむおえなかった。それは会社の人たちのせいじゃない。もともとの社会体制がおかしいのであって、私を育てようとしてくれてる人たちを罵るようなことは許せなかった。が、後々心身の限界が来る・・・。

 

母は祖父そっくりだ。顔も似ているが「こうしなくてはならない」という透明のルールに縛られていて、それに背くと秒で怒号。相手が許せないんじゃない。背かれるような自分のことが許せないのだと思う。

 

会社を悪くいう時も母と祖父は大体同じことを言った。「会社がおかしいがお前もおかしい」「普通はこうするんだ」「まともな会社ならこうするんだ」と繰り返した。サカナクションか?マックブック6台出てくるんですか?は?

 

「普通は」「まともだったら」「正社員じゃないから」と繰り返した。普通は?まともは?正社員じゃないから?私の性格のせい?17時の定時になったら習い事に行く?は?マジただのバブリーじゃん?は?私は何も言わず泣いた。この人たちには真っ正面から何か言っても伝わらないことがわかっていたからだ。無駄。その溢れ出たものが涙で、それさえ見られたくなかったけれど、無理だった。涙は止まらなかった。

 

他の正社員で入社した子だって定時で帰れる日もあれば場合によっては徹夜や残業もしていたし、残業代が出ない、徹夜しても次の日すぐ出社しなきゃいけないなんていうのはアホのように聞いていた。もう、時代が違うとしか言いようがないけれどこんな人たちにまず時代の話からしなきゃいけないなんてバカみたいだ。自分よりたくさん生きている人たちが「今」を知らないで自分たちの時代だけで意識が止まっていることを自覚させるのは酷いことだと思った。

 

一つでも欠点があると罵られる。そういう環境で育ってきたから何手先まで予想して発言・行動をしなくてはならなかった。普通の子供らしい子供はそういうことをしないっていうのを知ったのは最近だった。いつも大人にウケるように、今後の物事がスムーズに行くように前の段階から予想して行動していた。それは誰にも気づかれず、「いい子だね」「優しいね」「これからもお母さんを助けてね」「いいお嫁さんになるね」と言われた。どれも全く嬉しくなかった。母が怒らないように、姉がいじけないように、その最善の方法をしているだけで優しさとか思いやりとかそういうんじゃなかった。そうしないと自分がしんどいからやっただけ。それだけなのに褒められるのはなんだか気持ちが悪かった。そこまでしなきゃいけないそいつらを、どうにかしてくれよって感じだけど、当時はそんな意識や言語化できるはずもなく母や祖母、祖父、姉、(父は海外に単身赴任なのでいない)のスキマを埋めるような役割をして、その意識が残ったまま社会に出た途端、「いつ怒られるのか」「自分の何がダメなのか」常に予想に予想を重ねてやればやるほど裏目に出てどんどん自分のことを嫌いになった。

 

「自分を嫌いになった」

上司からは仕事はできている方だ、向いていると思うし自分を責めすぎだと言われた。そうだと思った。けれど、受け入れられない。100%を思い描いて1%でもダメだともう自分が保てなかった。自分という人格でで仕事をしていることが、自分でいることが苦痛で仕方がなかった。自分を辞めたかった。でも仕事は次から次へと流れてダメだった仕事も次から次へ流れてもう、なんで生きているか、わからん。仕事をするか、生きるかの選択肢しかなくなった。仕事ができない自分=全部ダメ。仕事ができない自分が生きている資格はないと思った。本気でそう思った。涙が、毎日止まらなくなっていた。自分を辞めたい、自分が存在していたことをなかったことにしたい。あのミスもあのミスも、あれも、全然消えない。全て自分を否定する要因として刃を研いでいた。「死のう」「死んじゃえ」「もう無理だ、死んだらみんなわかる」

 

言葉で説明したり、説得するのが億劫になった。

それは自分がダメな人間だと主張することでもあるし。そもそも、人が抜けて大丈夫な状態ではないし、会社の人たちに恩返し、したいし。それこんな風だったらできます!困った時も任せてください!なんて、未来を想像していて。まあ社会人1年目なんてそんなものなのに必要以上に追い詰めてしまった。自分で自分を。

 

自分の存在を認めてあげられない現在は続いているけれど、仕事をしてお金はあっても時間がなくて仕事をすればするほど自分を嫌いになって行く、よりは、まだマシかな。今は。

 

そんな自分が自分として生きていることが嫌になって。数年。まだまだ自分が嫌いで仕方がない。太ったのも、友達が少ないのも、こうやってネットにしがみついて具体的に何か行動にしてないところも、実家が嫌なのに楽さに流されて気持ちを押し殺しているのも、何もかも許せない。自分が。

 

2019年

 

年が変わってもやることは変わらないけど、一つ。

「自分を好きになりたい」

これだけ。