左脳、死んでも生きてるってよ

障害者でもないが健常者でもない。普通でもなければ異常にもなれない日々。

吐き続ける体液、詰まる言葉。

なんとなくの体調不良が細く長く続いている。

どれもこれも検査しても健康でなんでもかんでもストレスだからもう病院へも行くまい。

 

今のバイトを辞めたいと上司に伝えると「まぁそういうバイオリズム?とかもあるし辞めるのはすぐできるからシフト減らして調節してみるとか他の求人をみてみるとかやってみるといいんじゃないかなぁ、体調はもちろん第一だからね、辞めてももちろんいいけどすぐできるからね、なんか少し考えてみたらどうかな」

 

上司も音大出身の人だった。創作についての思いや対人接客に向いてないことを理解してくれた。

 

けれども、「辞めたい」と思う瞬間にはひとりぼっちなのだ。誰も助けてくれない。

だから、辞めようと思うのにむにゃむにゃと無不満を垂れ流す。

 

このむにゃむにゃは何回目なんだろう。「辞めたい」と思ったらその気持ちは全く動かないのに、それでもむにゃむにゃ、どうしてもむにゃむにゃ、してしまう。だって目の前の上司にもお世話になったし、周りの人にもお世話になったし、優しくしてもらったこととかを数えるとどうしてもむにゃむにゃしてしまうのだ。

 

そんなにむにゃむにゃしても、急かす客は話を聞かないし、身なりが汚い客は怒鳴るし、話を聞いていない客は同じことを何度も聞いてくるし、そういうストレスは蓄積されるばかりでどこへも逃げていかない。頭からつま先までストレスというストレスでパンパンになっている。

 

それでも「申し訳ございません」「お待たせして申し訳ありません」「大変お待たせしました」とぺこぺこすることでしか立ち回れない情けなさ。

 

気がつくといつもコンビニの酒コーナーにいる。そういうふうにプログラミングされてるみたいにレモンサワー男前500mlを手に取るといつものガチの地雷メイクの女の子の店員さんに渡す。さすがに、涙袋が描きすぎなのでは………とかカラコンが大きすぎなのでは…………そんなことを考えるよりも早くお会計は終わって、冬ではなくなってけどその残像が残ったような冷たい風に吹かれながらプルタブを開ける。

そこらじゅうに空き缶のゴミがオブジェのように鎮座している。

そこらじゅうのすみっこに大人が集まり缶ビール片手に喋っている。

すみっコぐらし、こりゃ流行るのも頷ける?のか??

 

怒鳴る客、意味を理解しない客、急かす客はゲームのコンピューターみたいにランダムでわたしにダメージを与えて去っていく。

これ、なにしても変わらないんだよな。辞めたい辞めたいと思いつつ、人員が少なくシフトが困窮していることや、そこからさらにもうすぐ辞めてしまう人のことを考えると「いい人と思われたい」センサーが無駄に発動してしまう。辞めたいが、辞めますとはっきり言えない。

だってお世話になってる人を困らせてしまう!しかしわたしが1人で怒鳴られても誰も助けてくれない。小さなイライラの積み重ねが消えるわけでもない。

 

そもそも人員が少ないのはわたしのせいではないし、それで困ることだって先々わかって会社が対応したことなどわたしに関係ない。わたし1人いるかいないかくらいで状況は変わらない。そしてわたしがストレスで満ち満ちていくことも変わらないのだ。

 

なにもかもわかっているのに詰まる言葉。

自己犠牲なんてなにも生まないと散々思い知らされているのにこればっかりは。

生理も止まり毎日吐きながら働く意味なんてないのに。どうしたもんか。

 

酒を飲んでも飲んでも毎夜毎夜越えられない。

睡眠はわたしに厳しい。