左脳、死んでも生きてるってよ

障害者でもないが健常者でもない。普通でもなければ異常にもなれない日々。

実家を離れて気づいたこと3つと自分の使命

気づけば実家から離れてから半年は経過していた。

初めの頃は眠れないこともあり実家によく帰っていたけれど、帰ってもやはり雪崩のように怒り出す母親は変わらなかった。

「やっと自立して成長したと思ったらなにもしてねえじゃねえか!ふざけるな!そんなんだから病気なんだよ!!」

怒った原因は、わたしが夜眠れない分昼寝をしていた為、洗濯物を取り込むのを忘れてしまったからだ。洗濯物は15時に取り込まなければいけない。それ以前だと乾いていないし、それ以降だと洗濯物が冷たくなってしまうだろ、とのことだった。

「ごめん」と謝っても「ごめんじゃねえだろ!!」こんなやりとりを20数年変わらないのだ。

逃げるように犬の散歩に行く。どこからかお風呂の湯気のにおいが香って「あぁ、帰りたい」と思った。

 

それ以来実家にたまに帰ることもあるが、極力寄り付かなくなった。

 

実家から出て気づいたことがたくさんある。

「やりたくない」という理由で家事をやらなくても怒られない。何かミスして「ごめんなさい!」というと「もう〜〜しょうがないな。大丈夫だよ」と言ってくれる。

人の話を無意識に聞いていない。これは驚いた。耳は聞いていても頭に何も入っていない。これの原因はすぐわかった。原因は母親だ。乱れ打つような罵詈雑言を傷つかなくてもいいように耳だけ聞いて脳には残さないようにした。わたしなりの生存戦略だった。それを一緒に住む彼は「なんで無視するのー!?」と嫌な気持ちになってしまうみたいで申し訳ない。しないようにするものの難しい。

そして、自分にとって「映像」がどれだけ大事か。一緒に住む彼は根っからの現代っ子で、ほとんどYouTubeしか見ない。YouTubeを自動再生で垂れ流している。わたしにとってはほとんどがとても退屈だ。中には不愉快なドッキリをする動画もあり、それを見て笑う彼にすら不快感を覚えた。「どこらへんがすきなの?」と聞くと、「自分は絶対やらないから」。それは、これを見て笑っているということは、やってる人と大差変わらないのでは?と様々な疑問や不満を感じたけれど、そのときそこまでは「へえー」としか思わずその場で終わった。

そこからあれやこれやとなんだかんだ彼に好きな昔のドラマとかMIU404の再放送などを見せたりしたけどなんとも心に響かないようだ。歯痒い!!なんでこの良さが伝わらないのか!?そしてその良さを伝えきれていない自分にすら歯痒さを感じざるを得なかった。

そしてまた気づいてしまったこと。

「こういう人に響く映像をつくらなければならない」という使命感。

 

この使命感がなにかにつながるかはまだわからない。けれど、創作せねばならんという使命感だけ先走ってしまい、焦る。

もうすごく遠くだと感じていたら2021年アラサーのわたし。どうかささやかなエールを。