左脳、死んでも生きてるってよ

障害者でもないが健常者でもない。普通でもなければ異常にもなれない日々。

現代殺人候補者の気持ち

屋上にいる。

風が強く肌寒い。

空は白けて太陽の光がぼんやりしている。

よくわからない陳腐なBGMが18時には出て行けと急かす。

 

どこにもいくところがない。

先日新しいバイト先からメールが届いた。

「契約早期終了。継続契約はありません」

 

クビだ。

人生で初めてクビになった。

たった一通のメールで収入元が途絶えてしまった。いや、むしろメールでよかったのか、直接はっきりと言われたほうがよかったのか。

 

ちょうど1年半働いたコールセンターの最終出勤日を終え、一人一人にお世話になった感謝を手紙で書き、退職したんだけど。

 

退職したんだけど。

クビになったんだけど。

無職になったんだけど。

 

想定外ってこういう時に使うんだ。

まさしく想定外でパニックになった。

 

職場に乗り込むことも可能だけどもう必要ないので、よろしくって言われてんのにのこのこ行くようなメンタルもなく、なんとなく違和感、嫌な予感はずっとしていたのが的中した。

 

また無職〜〜〜〜〜!!!!!

今オンタイム的に言えばまさに「無敵の人」「犯罪者予備軍」に仲間入りしたわけだ。いじめられた経験もあるしツイッターもしてるし完璧だ。もうあとは出刃包丁を買う…………いやいや、無職でもわたしは人は殺しません。辛い記憶があっても誰も殺しません。わたしはわたしの命をまだまだ諦められません。きっと全て諦めてしまったんだろうな。川崎無差別殺人も、官僚の息子殺害も、明日は我が身。

 

なんでみんな人に殺されることの可能も等しくあるのに、自分は殺さないと言い切れるんだろう。あなたもわたしもあの人も、誰かを殺す可能性だって等しく存在するはずなのに、それを自分たちとは全く文化の違う野蛮人として仕立て上げる。違うよ、みんな全員が文化の違う野蛮人なんだよ。みんな等しく野蛮人なのです。そしてみんな等しく死ぬのです。それが、どんな日常にも潜んでいるのです。

 

それってなにで補うのかって想像力かと思う。「なにを食べよう」「なにを着よう」「あいつに会ったらこれを話そう」そういう些細な想像で人は生き伸ばすことができるんだと思う。

 

大多数が普通にできることが普通にできない。

普通と思ってやることが普通じゃない。

一体どうすりゃいいのか。

 

バイトに応募しまくり、せっかく面接までたどり着けた。

わざわざ都内の引き締まっているビルを訪ねる。

すると目が死んだチームLabの社長に似ている。

「あ、はい、はい」みたいな所見からやる気30%くらいのテンション。

喋ると「自分の話すクセ、わかってます?○○で〜なんとかなんです。とか伸ばしながら喋ってて、考えながら喋ってんのかもしれないけど全然伝わらないし。もっとわかりやすく喋れないんですか?これがこうでこうなりました。って、順序立てたほうがわかりやすいですよね?一応これ面接なんで、なんでそれができないんですか?」

 

泣きそうになった。

面接をちょっと舐めてたのもあるけど、こんなに自分の喋り方まで徹底的に指摘されてしまうと、より喋れなくなってしまった。

 

あっぷあっぷしたまま、「あ、そうですかー、はい」みたいな感じで終わった。わざわざ都内まで出向いてきてこんなにディスられて、「言われるだけいい」と思えばそうなのか。なんなのか、わからない。声が出ないんだ。低いトーンしか声が出なくて、それをわざわざ説明しても特に響かなそうだし、ああ、こんなにも自分が何か頑張ってきたことが一切ありませんよ。デリートしました。みたいなことが久しぶりすぎで泣いた。

邪険に扱われること、大人としてちゃんとしてないことを指摘されることに自分への嫌悪感とか、あらゆる負の感情が蠢いて、そのまま居続けている。

 

何をやっても無駄なんじゃないのか。そんな風に思わざるを得ない毎日。

頑張っても頑張ったことが残らないような毎日。

絶望しても明日が来る毎日。

 

一体何をどこからどうやって何をしたらいいのかわからない。これ以上不意に傷つけられたりしたくないし、ただ働きたい、自分の居場所が欲しい。そのことがどれだけ難しいことか。

 

明日は我が身。人を殺すなら自分を殺すの。そういう人がたくさん居て、その殺さないようにする自尊心を何かで埋めてやっと生きてるの。

 

今後の私の自尊心はどうするのかきっと明日になってもわからないけど生きているんだろうな。