左脳、死んでも生きてるってよ

障害者でもないが健常者でもない。普通でもなければ異常にもなれない日々。

NO SWEET HOME

 

生活がつらい

金銭的なことももちろん、生活力の乏しさ、対人すると自分の気持ちが言えない人間力の欠如、相手の気持ちを感じ取れない想像力の欠如、金銭管理のできなさ、、、

 

また「帰りたくないが帰るところがない」状態になってしまいそれを打ち消すため酒を飲んでいる。

酷暑な日々、今日は幾分風がある。

 

「小さい頃はどうでしたか?」

心療内科のカウンセリング室。駅近なだけあって電車の往来が神経を逆撫でする。

窓からの光が薄くスライスされていく。

小学生の頃、よく担任の先生に嫌われた。謝らなくてもいいことを謝れと言われて謝ったり、うるさいクラスメイトを「静かにしなよ!」なんてイキがると「あんたが一番うるさい!」と理不尽に怒られた。尚且つ、3つ上の姉のせいで「お姉さんはあんなにできるのにね」なんて目の敵にする。帰宅しても姉が一人で喋ってばかり。「あんたは何にも話さないのね」と、母。

 

全ては姉こそが正しいということなんだと思っていた。

今考えれば3年先に生きてる人間と同等の扱いをする方がおかしい。できないことが多くてなにも悪いことはない。

そう思えるようになったのもここ2〜3年だ。

 

そんな環境で育つはずの自尊心などないものにされ、自己犠牲ばかり美化された。「優しい。思いやりがある」と言った褒め言葉も子供ながら嬉しくなかった。「あんたら大人が望んだことをやっただけ」

そういうのをまた破壊神の姉がふみ壊す。「別に頼んでないけど好きでやってんでしょ?」当時の顔は恐らくないだろうが、核心をついた一言だ。

 

この国の人たちは自己犠牲ばかり美化して失敗したことは全て自己責任。やってもらったことや努力は当たり前、その代わり罰は絶対に与えない時がすまない。

「好きでやってんでしょ?」

まさにそうなのかもしれない。

 

オーバーサイズだったデニムをパツパツに履きながら夏の夕暮れを感じる。

好きでやった結果だ。