左脳、死んでも生きてるってよ

障害者でもないが健常者でもない。普通でもなければ異常にもなれない日々。

二度あることは三度ある

3度目の無職。

もう季節は冬の匂いも正しくないところまできていた。

 

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新しく働いたアルバイトは以前とは一変、体を動かす労働だった。汚ねえTシャツにジーパンスニーカーで重いものをあっちへ、流れてきたものをこっちへ、薬品を使って綺麗にして。

しかし途端に歯車が狂った。

「そもそも人として基本的なことができてない!!」

そう一喝されたのは、先輩に頼まれたことを頼まれた通りにできないのが何回も続いたときだった。「なんてそんなこともできないの!?逆に今までどうしてたわけ!?」感情的になる先輩の目を見ながら必死に謝罪。

「謝ってほしいわけじゃないんだよね」

そうですよね。わかってます。この感じ、身に覚えがあります。

 

それから呼吸が浅くなりめまいと耳鳴り生理は止まり、夜は眠れなくなり食べ物は味がしなくなった。

「まただ」と思った。

前職ADをやっていたときも全く同じ現象が起きた。2週間で3キロ体重が減った。コンタクトレンズをつけることすら出来ずメガネで髪はボサボサ。「もうこんなに仕事ができないのなら死ぬしかない」と思っていた。

上司が情緒が不安定だったり攻撃的だと一瞬にして親の前での自分になってしまう。縮こまって、言われたことを「はい」ということしかできない、でもちゃんとできないポンコツロボットになってしまうのだ。

「はいって言ってたよね!?でもできてないじゃん!!これもできてないし普通の人だったらできてるよ」

普通の人ではないんだ。幼い頃からの社会との摩擦を大人になって何度も見せつけられた。「見た目は普通だけど普通のことが普通にできないヤバい人間」

AD時代、親からの暴言、周りからの軋轢、自分を否定してきた全てが呼吸をさせまいとしていた。

 

目が覚めると身体が動かず、悟った。

「限界」

 

それから犬の散歩以外は外に出なかった。呼吸はなんとなくできるようになったものの、めまいは数日続いた。さすがにもう何度も無職になっているのでヤケになるのも一通りやってしまったし、酒も飲まず、犬の散歩だけして慎ましく過ごした。

 

こんなに冷静なのも、すでに以前掛け持ちしていたもう一つのバイト先に復帰させてもらうようお願いし、働き口が決まっていたからだ。感謝を忘れずにいたい。

 

そして2019年が終わろうとしている。何度も生きることを終えたかったのに結局アルバイトだけで時間ばかり経ってなにも残っていない。なにもない自分にも慣れてきてしまった。なにもない人間が生きることは生きることにはいるんだろうか。