左脳、死んでも生きてるってよ

障害者でもないが健常者でもない。普通でもなければ異常にもなれない日々。

生活、めぐる季節

蒸し蒸しと みなの口元 高気圧

 

一句思いついたのでしたためてみた。

アルバイトは割と話す仕事なのでこのマスク生活にも飽き飽きしてムカムカして蒸し蒸ししている。せっかく新しく買ったリップもマスクに奪われて輝きの機会を失っている。

 

初めての引っ越し。

ついに実家から自立することができた。

本当に実現するのかギリギリまで半信半疑だった。「親はなんて言われるのか?」「絶対否定されるけどどうするのか?」不安は尽きなかった。普通の家だったらそんなこともなかったのかな、と思った。

思ったことを実現するのが少なかった人生で自信が持てなかった。

 

実際、生活してみる生活で消費される金のことばかり気になる。肉ひとつ、牛乳ひとつ、納豆ひとつ、お風呂、エアコン、生きているだけで金がかかる。しかもそれが支払えない。早くも生活することの限界が見えてる。

 

ある日なんとなくお腹痛いの治んねえなーと思ってバイトに出勤したら、トイレから出れなくなり救急車で運ばれた。お腹の痛みが治まらず半ケツで個室のトイレをのたうちまわった。今は脚がふくらはぎを中心に蕁麻疹でかゆく、血だらけになっている。毎日なにかしらに無視される夢ばかり見る。

 

金、体がしんどい。

今どれだけ働いてももらえるのは先だし、その間はお金がないわけで、なにか息抜けるお金も時間もなくアルバイトと家の往復。飲み物、食べ物は持参。自分の金銭管理ができていないといわれればそれまでだが、あまりにも差っ引かれる金額や消費税の高さに辟易する。今度はレジ袋が有料。環境問題としては4%くらい改善されるとTVで見た。そんなに4%が大事か?

 

体中赤い蕁麻疹で痒く包まれる。

ストレスだ。

 

金は持ち合わせないけれどアルバイトにほとんどの時間を割き、自分の時間はないけれどお金はないからなにもできない。ついには親に金を借りる始末。情けなくて頭が上がらない。結局自立できていない自分を見ながら「実家あってラッキー!」という自分もいる。

 

その分規制がつきまとう。果たして親から金を借りているのに知人と会食していいものか、なにか必要なものを購入していいものか。自分の意思だけで決定していいものか戸惑う。「いい歳して親に頼っちゃって」なんて言われたら手も足も出ない。事実だから。

逃げたいと思って逃げ出した実家に結局支援を要求するというのは個人のわずかなプライドが許さなかった。でもそうでもしないと仕事にも行けない、仕事に行かないと返済できない。

そんなループの中自分を自分たらしめるなにかはもうなくて、ただ借金を返すために働く。迷惑かけぬよう心身に支障をきたさぬよう働く。毎日それだけで精一杯。色彩を失っていく日々。

 

これを生きていると言っていいのか、わからないけれど今できることをやるしかないのはずっと変わらない。できることをやるしかないのだ。

洒量が増え、体重が増え、金は減り、自己肯定感は減り。果たしてこれがいつかなにか形になるのだろうか。