左脳、死んでも生きてるってよ

障害者でもないが健常者でもない。普通でもなければ異常にもなれない日々。

星に願いを

吉祥寺のとあるバル的なところ。

わたしは緊張していた。箸の持ち方が汚いからだ。

そこにやってきたのは彼のお母様。一緒に歩いていたら恋人同士と思われてもいいんじゃないかってくらいお綺麗。まっすぐでつやつやのかみとアニマル柄に黄色のスカート、カゴバッグ。マネキンそのままみたいな洒落っ気で、お話すると軽快で話しやすく、わたしが無職のことも受け入れてくれた。

 

「そうなの!でも若いからいくらでも取り戻せる!なんで好きなことやったり勉強すればいいんだよ!大丈夫だよ!」

なんで我が親からこの言葉が出ないのか不明だが、長い目で見てのんびり探して大丈夫だよと背中を押してくれた。それは息子の彼女とかじゃなく一人の無職の若者としてのコメントで、その優しさに泣きだしそうだった。

 

家庭なんていろんな形がある。なにもダイワハウスの父母兄妹犬or猫なんて家族じゃなくたっていい。「家族だ!」と思ったら家族でいい。法的な手続きはいいとして。そういう時代が来る。苗字も育休も変化してる。

 

家族ってなんんだろう。先ほど親に「お前なんか家族じゃない。ただの同居人なんだから不快なことをすんな」と言われたばかり。

お前がつくった家族は「不快なことをしなけりゃいい」それだけなのか。わたしはなんかのか。

 

何度も何度も「生まれなきゃよかった」と思った。姉がいて、もうそれだけで十分なのに余分に生まれてしまって、余分なばかりに普通の社会に馴染めずに働けない。誰にも認められない毎日。家族じゃない、つまらないと言われる毎日。

 

「普通の子どもがよかった」と母親が言った。わたしもそう思う。ちゃんと多からず少なからず男女友達がいて、恋人がいたりいなかったりそういうことも相談できて、ちゃんとした会社に雇用されて土日休みでダラダラしたり、デートしたり、飲みに言ったり。流行りの服を着てそれに見合う華奢な骨格で家にもちゃんとお金を入れて自分のためのお金もかけられて、それらい稼いで貯金して。3年後くらいに結婚して子ども産むんだ。それに父親も親とかも同席して泣いて、泣きながら名前を考えて、なんて。

 

わたしには実現できない未来がたくさんありすぎて息がつまる。どれもこれもお星様のように遠くに光って掴むこともできない。そのきらめきが廃れることもなく、わたしばかりが時間を過ごして朽ちていくんだ。

 

願ってごらん夜空の星を金にもなににもならない星を。いつか誰かに願うのを諦めずに。