左脳、死んでも生きてるってよ

障害者でもないが健常者でもない。普通でもなければ異常にもなれない日々。

欠陥品バトルロワイヤル

昔から、自分の思ったことを口にするのは苦手だった。

何かを出されてどっちがいい?と言われれば余ったものを選んだ。「これがいい!」と勇気を振り絞っても否定された経験を今でも覚えている。

 

自分で選んだものに自信が持てない、選べない。そういう性格は歳をとるにつれて足枷になった?

 

大学で就活をすふか、しないか?社会人になってなにをやりたいか、やりたくないか?

全くわからなかった。強いて言うならなにもやりたくなかった。自発的に自分がイメージしたものしかやりたくない、なんて偉そうに思った。

 

でも社会的にはペーペー。なんにもできないプー太郎なのに意識ばかりたかいところでなににもならなくて、かといってみんなと標準の目線を探しても全く理解ができない。標準値を自分の脳内で咀嚼するのが本当にできなかったし、今もできない。

 

でも、未だに友達や恋人などちゃんと社会人として営んでる人への羨みはとめどない。でもそれができない。できないんだどうしても。

 

「AをやったらBにしてAに戻して」とかそういえ些細な指示も行間が読めず、その先はどうしたらいいかわからない。でも「普通の人」ならわかるらしい。

 

単純に欠陥品なのだ。自分は。

だからこそ芸術を!と躍起になっても芸術もまた社会。運と人脈を持つ人ことが名を残していく世界。運もなければ人脈もない。人脈を広げる努力もできない。だったらなんなんだ、死んじゃえよと思う。欠陥品だから。

 

松本人志氏が「どんなに製造しても欠陥品はねきる。欠陥品同士で戦ったらどうか」などというワイドショーでの発言が話題になった。欠陥品同士、殺しあう気力もない。たくさん殺したら英雄、なんて戦争と同じじゃないか。誰かと誰か愛し合って望まれて生まれたてその子が欠陥品だとレッテルを貼られ、同じような苦しい思いをたくさんしている。そんな人を殺すことで自分の価値があがるなんて思えるだろうか。どうか早めに殺してほしい。そう思える人がいればそういう人に殺されて、誰かの価値になれたら本望かもしれない。