左脳、死んでも生きてるってよ

障害者でもないが健常者でもない。普通でもなければ異常にもなれない日々。

とりあえず、今を。

先日、誕生日だった。

 

今までは「祝われるの恥ずかしいから苦手」な感じで振舞っていたけど「祝われるの恥ずかしいから苦手だけど結局祝われて嬉しい」のを希望したいたものの、普通に祝われなさすぎてそのよくわからない指針を捨てた。

 

とにかくSNSで宣伝活動。

もうすぐ誕生日で今までは「祝われるの恥ずかしいから苦手」な感じで振舞っていたけど本当は全然祝われたいので祝われたいです。と正直に白状。

 

やはりここにも自己肯定感の低さの現れだった。「本当は祝われたいが、祝われて喜んでいる自分が恥ずかしいし祝われるような存在ではない、喜んだり期待してはいけない」という呪いをかけ続け数年。

 

「いや、めっちゃ祝われたいっちゅーの!!!!!」という感情が爆発した。

 

結果、念願の誕生日ディズニーに。まさかこんな自分が誕生日ディズニー!?!?過去の自分が知ったら天変地異が起こる。念願の誕生日ディズニーのあの、名前を書いてくれるシール。歩くたびに目が合うキャストさんに「お誕生日おめでとうございます」と言われ、「あ、はぁ、ええ、ありがとうございます、恐縮です…………」とおろおろする。平日だったのでだいたい30分近くあれば乗り物に乗れてテンションアゲアゲな己。

 

自分、楽しんでもいいんだ。

まるで脱獄犯のように喜びや楽しみを押し殺し、怒りや悲しみも押し殺し、他人の感情や都合で生きてきた。恥ずかしいことなどなにもない。生きているのは恥ずかしくてめんどくさいことだ。恥ずかしくてめんどくさいほど、感情が豊かになる。

 

生きることは恥ずかしくてめんどくさくてめっちゃ笑えることもあればそうでもない日もあるしめっちゃ泣く日も許せない人が増えたり減ったりその日その時の感情は波のようで、その瞬間逃したら一生ない。永遠はない。それは金持ちも貧乏もブサイクも美人も罪人も善人も変わらない事実。

 

永遠はないこの時間をどう過ごそうか。

とにかく今を生きよう。

なるべく自分が自分を好きになるような今を