左脳、死んでも生きてるってよ

障害者でもないが健常者でもない。普通でもなければ異常にもなれない日々。

レペゼン心療内科

心療内科に行く日、ソファで起きた。テーブルにはコップに入ったビール。付けっぱなしで暗転したテレビ、電気、エアコンの生暖かい風。

 

何も覚えていない。

付けっぱなしにしていたものを乱暴に全部消してベッドに入った。

 

「病院13時じゃないの?」

「14時」

彼の応対にも一言で返し、多分13時だったのに眠りたいから14時と返した。なにもかも乱暴。

彼は早くから起きてバダバタ外に出たり入ったり。元気だ。

 

14%の充電のまま傾いている携帯を引き寄せて予定を見るとやはり「病院 13時」と書いてある。病院は実家の最寄り駅近くのところなので、住んでいる家からの電車を調べるとあまり時間がない。「しんどいから病院行くんだから病院が来いよな!!」と暴言を吐いて寝巻きのまま必要なものをまとめて家を出た。

 

悲しいくらいいい天気だ。小春日和絶好調という感じで、近所の梅もぽくぽくと咲いている。

春じゃん。

 

メガネにすっぴん、髪を適当にまとめて気づくとこんな小春日和に真っ黒な自分だけ駅に向かって歩いている。

久しぶりのお出かけが心療内科とは。草も生えん。

 

心療内科には日が燦々と降り注ぎ、駅にあまりにも近いから電車が通るたびうるさい。メンタルクリニックの文字が影をつくって床に落ちている。気持ちが悪い。駅で久しぶりに買ったファンタグレープをトイレで全部吐いた。こんな空虚な飲み物だったかね、なんてつぶやく。そもそもそんなに酒を飲んだのか覚えていない。

 

カウンセリングで話を聞いてもらうと、どうしても悪いことや暗いことばかり言わなきゃいけない気になってしまう。しかし、雪崩れのように吐き出す言葉はネガティブで窒息してしまいそうだ。しまいには嗚咽して泣き出してしまう。こんなにも自分がいっぱいいっぱいになっているとは、と毎回自分でもびっくりする。

 

顔面は痙攣し始め、体に蕁麻疹が出てきた。そろそろ限界のサイン。寝ても寝てないみたいなだるさ、でもこれも太ってしまったからなのでは?と思う。なにもかも本当は太ったからで、それをなんだか重大なことのように心療内科に行っているとしたら大変まぬけだ。どうしよう。

 

そんなこと考えてる間にも頭の片隅には「ハンバーガーかチャーハンが食いてぇな」

 

このまま太って太って破裂できないだろうか。嘘みたいに空が青い心療内科帰りに地元の駅を見てみると赤いクレーンが何台も忙しなくコンクリートを高くしようとしている。地元の変化にもついていけなくなるほど来てなかったんだっけ。なにになるのかなと思い写真を撮って駅へ。

 

もう3月になる。気がつけば5年薬なしでは眠れなくなっていた。

 

空が青い。日が温かい。風はまだ冷たいが春のそれを抱え込んだまま吹いてるみたい。それを感じられるだけでいいのではないか。

実家を離れて気づいたこと3つと自分の使命

気づけば実家から離れてから半年は経過していた。

初めの頃は眠れないこともあり実家によく帰っていたけれど、帰ってもやはり雪崩のように怒り出す母親は変わらなかった。

「やっと自立して成長したと思ったらなにもしてねえじゃねえか!ふざけるな!そんなんだから病気なんだよ!!」

怒った原因は、わたしが夜眠れない分昼寝をしていた為、洗濯物を取り込むのを忘れてしまったからだ。洗濯物は15時に取り込まなければいけない。それ以前だと乾いていないし、それ以降だと洗濯物が冷たくなってしまうだろ、とのことだった。

「ごめん」と謝っても「ごめんじゃねえだろ!!」こんなやりとりを20数年変わらないのだ。

逃げるように犬の散歩に行く。どこからかお風呂の湯気のにおいが香って「あぁ、帰りたい」と思った。

 

それ以来実家にたまに帰ることもあるが、極力寄り付かなくなった。

 

実家から出て気づいたことがたくさんある。

「やりたくない」という理由で家事をやらなくても怒られない。何かミスして「ごめんなさい!」というと「もう〜〜しょうがないな。大丈夫だよ」と言ってくれる。

人の話を無意識に聞いていない。これは驚いた。耳は聞いていても頭に何も入っていない。これの原因はすぐわかった。原因は母親だ。乱れ打つような罵詈雑言を傷つかなくてもいいように耳だけ聞いて脳には残さないようにした。わたしなりの生存戦略だった。それを一緒に住む彼は「なんで無視するのー!?」と嫌な気持ちになってしまうみたいで申し訳ない。しないようにするものの難しい。

そして、自分にとって「映像」がどれだけ大事か。一緒に住む彼は根っからの現代っ子で、ほとんどYouTubeしか見ない。YouTubeを自動再生で垂れ流している。わたしにとってはほとんどがとても退屈だ。中には不愉快なドッキリをする動画もあり、それを見て笑う彼にすら不快感を覚えた。「どこらへんがすきなの?」と聞くと、「自分は絶対やらないから」。それは、これを見て笑っているということは、やってる人と大差変わらないのでは?と様々な疑問や不満を感じたけれど、そのときそこまでは「へえー」としか思わずその場で終わった。

そこからあれやこれやとなんだかんだ彼に好きな昔のドラマとかMIU404の再放送などを見せたりしたけどなんとも心に響かないようだ。歯痒い!!なんでこの良さが伝わらないのか!?そしてその良さを伝えきれていない自分にすら歯痒さを感じざるを得なかった。

そしてまた気づいてしまったこと。

「こういう人に響く映像をつくらなければならない」という使命感。

 

この使命感がなにかにつながるかはまだわからない。けれど、創作せねばならんという使命感だけ先走ってしまい、焦る。

もうすごく遠くだと感じていたら2021年アラサーのわたし。どうかささやかなエールを。

味のなくなったガム、味がしないガム

目覚めると頭が言葉でいっぱいになっている。

そんな時が不規則に訪れる。

そういう時はよく夜が近づいてくると怒られたあの人や、無視されたあいつとか、馬鹿にしてきたあの子、嫌なことばかりが垂れ流しになる。

 

体は正直とはまさにそうで、心臓がもうやめてくれというように速度が速く音が大きくなり鼻腔を狭く肺を苦しくさせる。

 

毎日1日を1万円未満で働き終えて200円ちょっとのレモンサワー500mlを川の流れのようにごく自然に手に取りレジに出してポイントカードを出して「レジ袋、レシートいらないです」と言う。ここまでほとんど脳みそを使っていない。

 

給料日が来るごとに「君たちは どう生きるか」原作:吉野源三郎 漫画:羽賀翔一 (読んでない)になる。

携帯代、水道代はわたしが払うから、家賃と食費でこれで、あとカードはいくら引かれるから現金が残るのはこんなもんか。「給料入ったらこれ買おう☆」と思ったことは大抵叶うことはなく、今日も何年前かに買ったユニクロのニットを着ている。

 

2万円のアウター、1万円のワンピース、6000円のニット、1万円のブーツ、全てが非現実的なものに感じる。そんなの買ったら生活が立ち行かない。そもそも着るところもない。

 

本当は髪の毛はブルーやピンクにしたい。爪はツヤツヤとギラギラにしてまつげはナチュラルに長くマツエクしてまぶたはいつもキラキラに。自分を押し殺すことなんてしないで盛大にひけらかして、そのことが誰かの勇気や希望に。

 

今はまぶたはキラキラしてるけど日高屋で生ビールジョッキとタンメン食ってる。ユニクロの何年前かわからないニットを着て、安くてすぐにポケットが破れた上着を着てる。服がないけど服を買う金もなければ10kg太った体に着せる服などない。客はみんな1人黙々とスマホを見てなんだか泣いてしまいそうになる。

なんせ、味がしない。

 

ある日を境に味がしなくなってしまった。それから回復したようなしてないような感じで3年くらい経って、気持ちが塞がってると体からのサインみたいに食べたものの味がしなくなる。

 

自分の毎日みたい。噛みきって味のしなくなったガムみたい。そんで本当に味を感じる部分が死んでしまったみたい。

 

着る物も纏う体も醜く、食べる物も味覚も全てが死んで見る物も見る感情も全て焼かれて灰になって舞っているような。それでも生活は続いていくから。

 

オチのない気持ちは眠れない夜へ、起きれない朝へ、感情失くして働く午後へ、諦めきれない明日へ。日高屋のクーポンをもらう。

 

奪われたクーピーの世界

自分のやりたいことで生きていける。

 

そう思い込んでいた。

「なんか変だね」「個性的だね」

よく言われた言葉。わたしには自分を突き放されているように感じた。

 

算数は全くできない。時計すら読むのが難しかった。いつも絵を描いてた。毎回黒板のタイトルを、どれだけ綺麗に描けるかばかり考えていた。

「さぐさん、そんなことやってる時間じゃないんですよ」

なんで注意されるのかわからなかった。当時のわたしは楽天的、というか、バカというか。「そうなんだー」と思うだけでやめなかった。

そうするうち、勉強はどんどん進む。全くよくわからなかった。

 

授業参観は嫌いだった。なんで普段の授業を親に見られなきゃいけないのか、よくわからなかった。授業参観で、少しの休み時間、いつも通り絵を描いてた。クーピーと鉛筆で。

 

家に帰ると親に「なんで休み時間に絵を描いてんの!!友達と話しなさい!!」と言われた。よくわからなかった。姉には「友達作りはスピード勝負だから、自分から話しかけないといけない」と言われた。よくわからなかった。よくわからないけど、なんかやったほうがいいような気がして、一生懸命話しかけることにした。次は「自分から遊びに誘うんだよ」と言われる。わたしは家でシルバニアファミリーと絵を描きたいのに、なんで友達と遊ばないといけないんだろう。よくわからなかった。

 

結果、「変わってるね」「人とは違うね」

そういった言葉が返ってきた。いいことのようには思えなかった。

大人になるとよりその違和感が強くなった。

「話し方が変」「声が低い」「なんでそんな服着てるの?」「なんでこれができないの?」

 

それでも絵を描けば誰かが喜んでくれた。「上手だね!」「かっこいいね」「すごいね」

自分にはこれしかないんだって思った。それ以外ができなさすぎるから。だから芸術的なことを志すのは自然な流れだった。

 

けれど、未来に見てたわたしの姿はない。絵もしばらく描いていない。もっと上手い人がいるからわたしが描かなくても素敵な作品は描かれ続けるから。

生活はそんなことじゃできないから。

そんなんじゃお腹はいっぱいにならないから。

 

いろんな言い訳を並べて壊して並べて繰り返して。年齢ばっかり、体重ばっかり増えて。眠れない夜がいくつもやってきて、これからもきっとやってくるから。

 

わたしがわたしであることに誰かが安心した気持ちになれたり、嫌なことを少しでも忘れられたり、少し自信を持てたり。そんなこと。夢見てた。

 

夢から覚めると口が乾いてる。太りすぎていびきをかくようになった。着れなくなった服も増えた。クーピーで絵を描いてたような色鮮やかな毎日なんてないのに。

 

葬式は楽天ポイントで

11月27日まで1万6千円で生きていかないといけない。

なんども確認したしけた通帳を見ながらもドラッグストアでレモンサワー500ml缶をレジに持っていく。「支払いは楽天ポイントで」

 

アルバイトの出勤が増えるとすぐに体調が悪くなる。蕁麻疹ができる。動悸がする。眠れなくなる。そうすると遅刻をする。当日欠勤してしまう時もある。そうすると給料明細はお利口にその分のお金は払われていない。

「体調不良多いよね。原因はないの?どうなの」

 

こんなこと言われるのも慣れてしまった。そのときのわたしは蕁麻疹で顔がボコボコに腫れて痒く、お腹と子宮が悪魔の手に握られているような、俄然体調絶不調なのだった。

「はい、そうですよね。すみません」

この3つを繰り返して気付けば1時間近く経っていた。堰を切ったように相手は話が止まらない。「いつ体調不良になるかわからないから信用してシフトを入れられない」

 

一体どうしたらいいのか。

シフトをがっつり入れないと生活が成り立たない、しかしがっつり働くと体調が悪くなってしまう。収入と支出がちぐはぐで、体も頭も追いつかない。

 

健康でもなければ障害があるわけでもない。

「本当に辛い人がいるのに病気のフリするな」「もっと辛い人がいるのに言い訳するな」「もっと治す努力をしろ」

体調が悪いことを嘆くと決まってついてくる言葉たち。そんなにわたしは悪いことをしているんだろうか。

 

「被害者ぶるな」

 

いつもどこかで自分を極限まで追い込もうとする声が止まない。追い込んでも働いても何錠の薬を飲もうと現実は良くならないからもう笑うしかない。

最後に笑ったのはいつだったか。

 

もし、時間が巻き戻ることがあれば「どうか後世は心身共に健康で会社員として働ける人間になりますように」と自分を殺すことにしよう。

 

ほら、見てみ。今日は満月だよ。

「満月が夜にぽっかり空いた穴みたい」となにかで言ってたのを覚えている。

 

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ギルド

ツイッターのフォロワーは1万くらいはいる。インスタも1万くらいフォロワーはいる。毎日自分の作品をつくる。みんなが「あなたの頭の中を見てみたい」と言う。わたしもできればそうしたいが、できないから手を動かす。好きな服を好きなように買う。カードは使いすぎないように気をつけないと。毎月好きな色に髪を染めて次は何色にしようかワクワクする!爪もいつもカラフルでギラギラさせて見るたびに恍惚とする。次はスカルプに挑戦してみようかな!?動画の脚本を書かないと。ロケハンも行きたいな。やりたいことばかりで体が追いつかない!今まで傷つけられたことなんてうそみたいにどうでもいい!今わたしのやりたいことをどうやって形にするか、どうしたらたくさんの人が喜んでくれるかを考えるので精一杯。多少ディスられても好きな人に評価されてるんだもん、がんばらないと。

 

気づいただろう。

お前はそんな現実に生きてない。

毎日やりたくもない仕事をネットで文句を垂れ流しながら働いている。「ありがとうございました」は過去形だから言っちゃいけないんだ。「ありがとうございます」だろ。決まった時間の5分前にはそこに立ててないとまたバイトリーダーに怒られるぞ。体調が悪い?お前、何回目だよ。また社員に白い目で見られるぞ。目が腫れておなかが痛いのが治らない?そんなお金はないよ。酒は飲むんだな。まあせいぜい気を散らすんだ。

 

いつから間違えたんだろう。

いつから薬がないと眠れなくなったんだろう。

いつから、どこで、なにが、

傷つけられた奴はみんな人生いい感じだ。

自分だけなんだこんな同じところを繰り返してるのは。

誰のことも喜ばせられない、どんな言葉も誰にも届かない。

わかっているのになんで当時の情熱に固執したまま生きているんだ。

もうお前にあの時の情熱なんてないんだよ。

なにも作れないなんて死んだも同然と言っていたろ。

アルバイトごときですぐに体調を崩すだろ。そんなやつに面白いことなんてできねえんだよ。わかってんだろ。

なにも積み重ねられてないんだよ。

なにもないんだよそこには。

誰もいないんだよ。

 

滑稽なことに今日も死にそびれてる。

1日1万円も稼げないのに体重ばかり増やしてまた自己嫌悪するのはこれで何回目なの?「体調不良で休みすぎる」ことを言われるのは何回目なの?寝ても寝ても遅刻するのは何回目なの?

 

確実に死ねるくらいの高さの建物ばかり探す車窓だ。

 

 

NO SWEET HOME

 

生活がつらい

金銭的なことももちろん、生活力の乏しさ、対人すると自分の気持ちが言えない人間力の欠如、相手の気持ちを感じ取れない想像力の欠如、金銭管理のできなさ、、、

 

また「帰りたくないが帰るところがない」状態になってしまいそれを打ち消すため酒を飲んでいる。

酷暑な日々、今日は幾分風がある。

 

「小さい頃はどうでしたか?」

心療内科のカウンセリング室。駅近なだけあって電車の往来が神経を逆撫でする。

窓からの光が薄くスライスされていく。

小学生の頃、よく担任の先生に嫌われた。謝らなくてもいいことを謝れと言われて謝ったり、うるさいクラスメイトを「静かにしなよ!」なんてイキがると「あんたが一番うるさい!」と理不尽に怒られた。尚且つ、3つ上の姉のせいで「お姉さんはあんなにできるのにね」なんて目の敵にする。帰宅しても姉が一人で喋ってばかり。「あんたは何にも話さないのね」と、母。

 

全ては姉こそが正しいということなんだと思っていた。

今考えれば3年先に生きてる人間と同等の扱いをする方がおかしい。できないことが多くてなにも悪いことはない。

そう思えるようになったのもここ2〜3年だ。

 

そんな環境で育つはずの自尊心などないものにされ、自己犠牲ばかり美化された。「優しい。思いやりがある」と言った褒め言葉も子供ながら嬉しくなかった。「あんたら大人が望んだことをやっただけ」

そういうのをまた破壊神の姉がふみ壊す。「別に頼んでないけど好きでやってんでしょ?」当時の顔は恐らくないだろうが、核心をついた一言だ。

 

この国の人たちは自己犠牲ばかり美化して失敗したことは全て自己責任。やってもらったことや努力は当たり前、その代わり罰は絶対に与えない時がすまない。

「好きでやってんでしょ?」

まさにそうなのかもしれない。

 

オーバーサイズだったデニムをパツパツに履きながら夏の夕暮れを感じる。

好きでやった結果だ。