左脳、死んでも生きてるってよ

障害者でもないが健常者でもない。普通でもなければ異常にもなれない日々。

日本沈没2020はキボウの話なのか?ネタバレはちょっとあるかも。

日本沈没2020を観終わり。

「これはキボウの話し」とCMで謳っているものの、ボコボコに人が死んでいく。

 

居酒屋ではサザンの「愛の言霊」が流れている。これを聴くと思い出すのは車の中で初めて見た朝日だ。

 

我が家では毎年夏休みに父方の祖父母の家に帰省していた。九州だ。しかも関東から自家用車で1日半くらいかけて行く。今「なんでほかの交通手段じゃなかったのか?」と聞くと「どうせ車でしかどこか行けないからそのほうが安上がりだった」らしい。いや、レンタカーとか飛行機とかあっただろ。まあ、それくらい金がなかったのかもしれない。

 

長距離移動のため、前の日から荷物で車内を埋めたり地図を買ってルートを確認したり(カーナビがなかった)大冒険だった。

そのうち毎回の儀式があり、CDショップで1人一枚、好きなCDを買ってくれるのだ。やはり何曲も入っているアルバムがよりよかった。そこでわたしは初めて宇多田ヒカルの「DEEP RIVER」を買ってもらった。「traveling」「SAKURAドロップス」など入った名盤だ。わたしはそのころから最も「letters」という曲が好きだった。後々、神と崇める椎名林檎がカバーするとは夢にも思わなかった。

 

その儀式で父が買ったサザンのアルバムに入っているのが「愛の言霊」だ。怪しげなサウンドで恐ろしげなのに耳について離れない呪文のような曲だと思った。

 

それを九州へ行く途中の朝焼けの中、車内で聴いた。姉はどこでもグーグー寝る。しかもこちらのことなど、おかまいなし、という感じで堂々と寝るのでスペースがない。わたしは全然眠れなくて音楽を聴きながらじっと景色を見ていた。今思えば親もまだ若く、両親共々運転ができたから成立したのであって、今やれっつったら絶対に無理だ。そこまでしてケチる必要があったのか疑問だ。

 

家族の記憶としてはそれくらいしか残っていない。「日本沈没2020」となんら関係ないやんけと思うだろう。でも観た人はわかると思う。建築関係の仕事をしてサバイバル力の高い父、フィリピン人で聡明、水泳選手だった母、ゲーマーとして実力のある弟、陸上選手の姉。このピースがうまく揃わないとあそこまで生きれないだろう。

 

そんな「親ガチャ」を広げられて「キボウの話し」と言われたらこちらとしては「ゼツボウの話し」なのだ。家族でキャンプなんてするわけがない、サバイバル力0で他人の情報に躍らされ、根性論しかない親、協調性のない姉、知性のないわたし。すぐに死ぬ。秒で死ぬ。

 

そう思うと「日本がやりそうなことだな〜」という取ってつけた政策や人の死が当たり前になっていく場面に共感する。途中の宗教団体も、誰しもが各々の生存戦略であった。「居場所」を作って生きた。

 

そのことがどれも無駄ではない、今につながっている。それがキボウと言いたいのか。

 

親ガチャによってキボウがあるはずもなくなってしまう、そこまでしがみついて生きたいとも思えないのに。けれどモールス信号を勉強しておくべきだ、あとやっぱり泳げた方がいいな、あとやっぱり英語もできたほうが…………なんて日本沈没に向けての生存戦略を考えている自分が恥ずかしい。

ロボットになりたいとアンディ・ウォーフォルは言った

「なんで生きてんだろ」

ぐるぐると巡ること言葉は、やる気を奪い、楽しみを奪い、向上心を奪っていく。

 

実際、アルバイトで忙殺されるだけの毎日。朝はまあまあ遅く起きてそれでも疲れは取れぬまま出勤するしかない。疲れが取れぬまま寝て、これもまた早朝5時とかに目が覚めてまた疲労が溜まる。

 

毎日の中でできることは限られていて、気力もどんどん失って結局何もできない。

こんなことやっていたらあっという間に1年、2年過ぎてしまう!!意味のあることをしたい、しないと!!と焦るけれど起きても起きてもアルバイトに忙殺される日々。

もしや、タイムループ?そういうタイムループ?

今から抜け出したい、しかしそれには金がいる。手元に金はない。楽天ポイントも950ポイントになってしまった。

本当に、みんなどういうモチベーションで働き、生活しているんだろう。どれくらいのお金を稼げるようになったら自分と向き合いながら暮らせるのだろう。それにはなにが必要なのだろう。誰か教えてほしい。

 

もう疲れた。どうしたら自分の生活がよりよくなるのか、自分はどうしたいのか、なにに向かっていくのか。もう考えたくない思考を停止したい。ただ働くだけのロボットになりたい。感情や理想や現実を感じたくない。

 

無機質になりたい。もう生きているのが向いていない。つらい。自殺のイメージを何度も繰り返すけれどそんな時間もなく、楽天ポイントで手に入れた安酒を手に母親が作ってくれた冷奴を食べて意味のないテレビを見てまた1日が終わるんだろう。

ローリングストーンズは坂を転げ落ちたことがあるか

「大人の階段のぼる 君はまだ シンデレラさ」

 

「まだ」、ということは後々シンデレラ以外の何かになるということ?シンデレラ以上のなにかがあるってことなの?

 

アルバイトの帰路、ふと思った。人手が足りないアルバイト先でなんだかんだ週5で働いている。「大人になる」というのは確かに、階段のように確実に踏み込み上がっていくようなものだと思っていた。

 

それは否、大人は階段を上り下りではない。

坂だ。

とにかくキツい坂、どこまで続くかわからないけれどとにかく続いている限り登り続けなきゃいけない坂。「もう無理、疲れた」とふと振り返ると「は!?結構高くまできている!!」と驚く。そうしようと思ったわけでもないのに気がついたら自分の今までいた場所と違うところの景色が見えている。

 

気がついたらスーパーで安酒を買い占めて我慢できず速攻飲む。気がついたら記憶がない。気がついたら適当な男と寝てた。気がついたら。もう完全に「大人」のゾーンにねじ込まれている。

 

「大人になったら」ブランドものや華やかな洋服、煌めくアイシャドウ、華奢なヒールでシャンパン、なんて思っても見たがそんなことできるのは限られた人間だと知るのにそう時間はかからなかった。シャンパンを常日頃飲んでるひとは「泡」って言うんだよ、そしてわたしはアルコール9%のスーパーで90円位の酒を飲んでるよ。そして消費税は高くなるからなんか手元に残る機材とか買っておけ。あと筋トレとかもしててくれ。マジで食べなくても痩せなくなる。

 

上記半分10代のわたしへのメッセージをねじ込んでしまった。やはりあの頃より感性は鈍る。なんでも「あー、こんなもんか」と思う。悟ったかのように割り切る。映画館で映画を観るのですら1800円も高くて観れないと10代のわたしが知ったらきっとショックを受けるだろう。

 

そう、現実は厳しい。

働けども働けども引かれる金、返ってくるかもわからぬ年金、なにに使われているのかわからん市民税、追い討ちをかけるかのような増税とコロナによる自粛での給料補填6割。からのレジ袋有料化。

 

平成生まれになにか恨みがあるんですか?というような合わせ技にさすがに悟るふりでもせんとやっていけねえ。

 

生活に鬱屈していると政治、国、世界に落胆する。けれども続く坂、坂、坂。一体この後続く人たちへどんな坂を建設できるだろう。できるだけなだらかな坂を用意できますようにと願うだけで明日は休みなもんだからもう一缶、とチューハイを開けるのだった。

生活、めぐる季節

蒸し蒸しと みなの口元 高気圧

 

一句思いついたのでしたためてみた。

アルバイトは割と話す仕事なのでこのマスク生活にも飽き飽きしてムカムカして蒸し蒸ししている。せっかく新しく買ったリップもマスクに奪われて輝きの機会を失っている。

 

初めての引っ越し。

ついに実家から自立することができた。

本当に実現するのかギリギリまで半信半疑だった。「親はなんて言われるのか?」「絶対否定されるけどどうするのか?」不安は尽きなかった。普通の家だったらそんなこともなかったのかな、と思った。

思ったことを実現するのが少なかった人生で自信が持てなかった。

 

実際、生活してみる生活で消費される金のことばかり気になる。肉ひとつ、牛乳ひとつ、納豆ひとつ、お風呂、エアコン、生きているだけで金がかかる。しかもそれが支払えない。早くも生活することの限界が見えてる。

 

ある日なんとなくお腹痛いの治んねえなーと思ってバイトに出勤したら、トイレから出れなくなり救急車で運ばれた。お腹の痛みが治まらず半ケツで個室のトイレをのたうちまわった。今は脚がふくらはぎを中心に蕁麻疹でかゆく、血だらけになっている。毎日なにかしらに無視される夢ばかり見る。

 

金、体がしんどい。

今どれだけ働いてももらえるのは先だし、その間はお金がないわけで、なにか息抜けるお金も時間もなくアルバイトと家の往復。飲み物、食べ物は持参。自分の金銭管理ができていないといわれればそれまでだが、あまりにも差っ引かれる金額や消費税の高さに辟易する。今度はレジ袋が有料。環境問題としては4%くらい改善されるとTVで見た。そんなに4%が大事か?

 

体中赤い蕁麻疹で痒く包まれる。

ストレスだ。

 

金は持ち合わせないけれどアルバイトにほとんどの時間を割き、自分の時間はないけれどお金はないからなにもできない。ついには親に金を借りる始末。情けなくて頭が上がらない。結局自立できていない自分を見ながら「実家あってラッキー!」という自分もいる。

 

その分規制がつきまとう。果たして親から金を借りているのに知人と会食していいものか、なにか必要なものを購入していいものか。自分の意思だけで決定していいものか戸惑う。「いい歳して親に頼っちゃって」なんて言われたら手も足も出ない。事実だから。

逃げたいと思って逃げ出した実家に結局支援を要求するというのは個人のわずかなプライドが許さなかった。でもそうでもしないと仕事にも行けない、仕事に行かないと返済できない。

そんなループの中自分を自分たらしめるなにかはもうなくて、ただ借金を返すために働く。迷惑かけぬよう心身に支障をきたさぬよう働く。毎日それだけで精一杯。色彩を失っていく日々。

 

これを生きていると言っていいのか、わからないけれど今できることをやるしかないのはずっと変わらない。できることをやるしかないのだ。

洒量が増え、体重が増え、金は減り、自己肯定感は減り。果たしてこれがいつかなにか形になるのだろうか。

12万の一瞬の死から

ずいぶんと時間が経った。

未だにコロナウイルスは活動し、マスクをするのが日常になった。

世界中に蔓延し、もはや「ウイルスとの共存」という言葉が浸透しつつある昨今。

 

わたしも長い間「毒との共存」を強制的に押し付けられてきた。その毒とは血が繋がっており、世間では「母親」と言う。

 

小さい頃の記憶はどれも母親が怒っている、イライラしているものしかない。「ごめんなさい」と謝っても「ごめんなさいじゃない!」。黙っていると「黙ってないでなんか言いたいことあるなら言いなさいよ!」。「言いたいことがあるなら言え」と言う人は「言いたいことを言ったら聞いてくれる」わけではないと学んだ。

 

わたしは言葉を使えなくなって、いつも泣いた。大人になっていくにつれて泣くのもやめて言いたいことがわからない大人になった。自分の心の声が聞こえない大人は大変だ。できない仕事を断れない、やりたくない恋人の頼みを断れない、母親の文句の何手先も読んで文句を言わせないようにやりたくないことをやっておく、不快な事を他人に言われても笑ってごまかす。そんなことをしているうちにだんだんと心が死んでいく声も聞こえなくなるくらいにわたしは言葉を失っていった。

 

そのうち生活に支障をきたす。仕事はわからないことがわからない、わからないことを聞けない、できないことをできると言ってしまい嘘をついて辻褄を合わせようとする、恋人の顔色を伺ってビクビクする、なにか指摘をされても言葉にできず泣いてしまう、友達にはバカにされる、頼まれたことをやっても感謝されない、なにも自分の気持ちが届かない。毎晩金縛りにあい、毎日電車の中で涙が止まらなくなった。それが2年の時間をすり潰した。

 

積もりに積もったものが重くなってきてなにかがぽきんと折れた。「お金がかかるならやめてください!!怒られてしまうのでやめてください!!」そう叫びながら救急車に押し込まれた。不眠症の薬と酒をめちゃくちゃに飲んで腕を刃物でめちゃくちゃにしたのだ。

 

目が覚めるとベッドと見知らぬ天井。無言で朝食が出てきた。メロンがあったような記憶がある。姉と母親が見舞いに来た。母親の第一声。

 

「こんな事に12万もかかったのよ!!」

 

「こんな事」をしてまでわたしは生きねばならなかったんだろうか。「生まれたいです!お願いします!!」とわたしは精子の時に卵子に懇願したのだろうか?その証明があればください。

 

そんなことを思いながらすり潰された想いなど知らんというように日常は時を刻んでいくのだった。

 

 

わたしはBARにいる。

わたくしはBARにいる。

コロナウイルスが拡大し、トイレットペーパー、ティッシュ、マスク、除菌ジェル、いろな抗菌グッズが頭がおかしいくらいなくなっている。

 

酒を飲んでいる。

アルコールは80度以上のものだと菌を滅せられるらしい。そこまで酒を飲むことはできないがらBARで酒を飲んでいる。

 

何日もの連勤の中で、やっとぶわっと湧き出すようにストレスが浄化されていく気がする。わたしは酒を飲む。わたしはわたしが飲みたい酒に金を払える。これを幸せと言っていいのでしょうか。幸せです。

 

日々金のために消費漁れて行く現在、わたしがわたしであるために酒を飲む。金をはらう。そのことがそんなに罪深いだろうか。誰かを傷つけただろうか。

 

わたしは私のために生きて行く。それが難しいやら、批判に晒されることになろうとも、私が私でいる限り諦めてはいけないのだ。

 

今日もら私らしさを漏らして1日が終わりゆく。

上海旅行記6日目

12/24

中国時間 19:37

クリスマスソング流るる

LEDがたくさん輝く

赤白緑の色、色、色

 


そうだ、今日は俗に言うクリスマスイヴ。

わたしは今、中華人民共和国、中国で酒を飲んでいる。

しかも、人生はじめてのシーシャをむせながら煙を吹かし散らかしている。

そして、バカリズムこと升野英知氏と夢眠ねむが結婚した。

 


なぁ、俺はなにをしているんだろう?

そんなことを思いながら忙しなく色を変えるデケぇシーシャの壺?を眺めてこの文章をメモに残している。隣に1人でいる欧米人にシーシャの吸い方を教わり、上海人のおじさんの孫の写真をみた。

 


なぁ、俺はなにをしているんだろう。

わからない。

もうよくわかんない。

 


人はどこにいくのか、どこから生まれたのか、わたしはなに、あなたはだれ、ここはどこで、どこから始まりどこで終わるのか。

 


ジングルベル何回言うねん!わかったわ!

 


なぁ、俺はなにしてんの

 


20代後半に足を突っ込みつつ、親のスネを適度に齧りつつ、アルバイトをしつつ、犬の散歩をしつつ、何者でもない自分が一体どこまで何者にもならず生きていくのか、地平線のような果てしのない考えの中、シーシャの吸い方をなんとなくわかってきた。1人で外国て酒を飲んでる。昔の自分では想像もつかなかっただろう。わたし、大人じゃん。まあまあ、いや、結構な大人じゃん。でもどこにも帰りたくないし、何者になりたいか全くわからない。一体、どこに向かっているのか、誰に問うているのか。ビール、うまい。もうそれだけで、いい気がしてきた。一応働いているし、クレジットカード使えるし、1人で外国にも行けるし、誰にも迷惑かけていない。なにも悪い事してない。それでいいんじゃないか。酒を飲むと理性と記憶を失いがちだが、そんな自分を嫌いになれないので、酒を飲む。酒を飲むと友好的になれる。

 

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あ、自分に酔ってる。クリスマスイヴにシーシャ吸っていきがってる。

見える、聞こえる、しゃべれる、味が、匂いがする。五感を改めて感じる。

もういろんなことがどうでもよくなってきて、なんかもう死にたい。死なないけど。

 

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店員の男の人が、和牛の水田さんをぼかして縮めたみたいな優しい見た目の人が優しい。

 


1人でクリスマスをエンジョイできた。もうあとは病院をハシゴして心を無にして働くだけです。