左脳、死んでも生きてるってよ

障害者でもないが健常者でもない。普通でもなければ異常にもなれない日々。

奪われたクーピーの世界

自分のやりたいことで生きていける。

 

そう思い込んでいた。

「なんか変だね」「個性的だね」

よく言われた言葉。わたしには自分を突き放されているように感じた。

 

算数は全くできない。時計すら読むのが難しかった。いつも絵を描いてた。毎回黒板のタイトルを、どれだけ綺麗に描けるかばかり考えていた。

「さぐさん、そんなことやってる時間じゃないんですよ」

なんで注意されるのかわからなかった。当時のわたしは楽天的、というか、バカというか。「そうなんだー」と思うだけでやめなかった。

そうするうち、勉強はどんどん進む。全くよくわからなかった。

 

授業参観は嫌いだった。なんで普段の授業を親に見られなきゃいけないのか、よくわからなかった。授業参観で、少しの休み時間、いつも通り絵を描いてた。クーピーと鉛筆で。

 

家に帰ると親に「なんで休み時間に絵を描いてんの!!友達と話しなさい!!」と言われた。よくわからなかった。姉には「友達作りはスピード勝負だから、自分から話しかけないといけない」と言われた。よくわからなかった。よくわからないけど、なんかやったほうがいいような気がして、一生懸命話しかけることにした。次は「自分から遊びに誘うんだよ」と言われる。わたしは家でシルバニアファミリーと絵を描きたいのに、なんで友達と遊ばないといけないんだろう。よくわからなかった。

 

結果、「変わってるね」「人とは違うね」

そういった言葉が返ってきた。いいことのようには思えなかった。

大人になるとよりその違和感が強くなった。

「話し方が変」「声が低い」「なんでそんな服着てるの?」「なんでこれができないの?」

 

それでも絵を描けば誰かが喜んでくれた。「上手だね!」「かっこいいね」「すごいね」

自分にはこれしかないんだって思った。それ以外ができなさすぎるから。だから芸術的なことを志すのは自然な流れだった。

 

けれど、未来に見てたわたしの姿はない。絵もしばらく描いていない。もっと上手い人がいるからわたしが描かなくても素敵な作品は描かれ続けるから。

生活はそんなことじゃできないから。

そんなんじゃお腹はいっぱいにならないから。

 

いろんな言い訳を並べて壊して並べて繰り返して。年齢ばっかり、体重ばっかり増えて。眠れない夜がいくつもやってきて、これからもきっとやってくるから。

 

わたしがわたしであることに誰かが安心した気持ちになれたり、嫌なことを少しでも忘れられたり、少し自信を持てたり。そんなこと。夢見てた。

 

夢から覚めると口が乾いてる。太りすぎていびきをかくようになった。着れなくなった服も増えた。クーピーで絵を描いてたような色鮮やかな毎日なんてないのに。