左脳、死んでも生きてるってよ

障害者でもないが健常者でもない。普通でもなければ異常にもなれない日々。

シミを纏って生きていく

皮膚科にて。

2時間待ち。

平日なのにディズニー並みの混み具合でぐったり。

 

10月末から原因不明の蕁麻疹に悩まされ、デコルテ、腰〜尻、ふくらはぎを重点的にかゆまされ、地元の皮膚科に行ったものの治らずちょっと遠くの評判がいい皮膚科まではるばるやってきたところだ。長い。隣の見知らぬ人同士で喋っている老婆は3時間近く待っているらしい。強者。

 

診察も無事に終わり薬をもらう。約4000円ちかくかかり、想定外だ。帰りの電車で考えた。そこまでして蕁麻疹を治すべきもんか。原因はどうやらストレスの可能性が高いらしい。ストレスを考える。わからない。たしかにアルバイトに不満はあるが、自分の力量と出費の問題であってアルバイト先が悪いというわけでもない。そうしたら実家か、、、

 

我が家は姉妹と母父の4人家族と犬1匹という構成。父は海外、姉もほとんど海外を行き来して母と子、犬の2人1匹編成で生活している。今までは学校か仕事、どちらか主軸があった生活だが、今はアルバイトを週3〜4日という具合なので主軸というほどでもない。母と2人だとなにかと気まずい。自分がどうしても機嫌が悪いときとか、夕飯を食べるときにテレビ番組が全然面白くないときとか。

 

とにかく母はおしゃべりで一日の出来事を話さずにはいられない。それをじっと適当にリアクションしながら聞かないといけない。唯一のクッションは犬だが、話について適度に相槌をいれてくれるわけでもないのでその時間はグッと堪えてまるで興味があるみたいに話を聞かないと機嫌が悪くなってしまうので、適当なリアクションといってもさまざまなバリエーションで対応しなくてはならない。

 

そのせいかわたしは自分から自分の話をするのが苦手だ。一日の出来事なんて人に話すほどの一日でもないし、自分の好きなことも否定されるかもしれないし、嫌いなものを相手が好きだったら傷つけてしまうかもしれないし。何手先のことも考えて事前に編集した言葉しか話せない。もしかしたら将棋とかやってたらすごかったかもしれない。なんて。

 

事前の編集をせず話す人はすごい。なにもないけどなにかあったみたいに話す。よくよく考えると普通というか、想定内のことしか話してないのにまるで一日一日色彩が変わるかのように話す。

 

自分のことを話すと「こんなことで辛いなんてとばかにされたらどうしよう」「わたしがよくてもこの人には嫌な情報かもしれない」と思ってその人の会話から抽出した大丈夫そうな話題をしゃべったり質問したりする。そのことが実は自分が本当は話したいことを引き出すために話していることに気づいて小賢しいなと自己嫌悪する。

 

素直、とはいいことと刷り込まれていたけれどその良さがちっともわからなかった。でも今ではわかる。素直でいることは自分として生きていくことそのものであると。嘘をついてはいけない、ということではなくそのときの波のように表れる感情一瞬一瞬、乗っていくことが大事ということ。その一瞬の感情はそのときしかないから。乗り損ねた感情の波は引いていっても身体に染み込んでいく。そのシミを取るかそのまま纏うかはその人の次第。そのシミがダサいか味かと思うのはその人次第。

 

ダサいシミも目立たないシミも全部まとめてわたしだ。シミだらけのまま生きていくんだ。それがもしかしたらおしゃれになるかもしれない。