左脳、死んでも生きてるってよ

障害者でもないが健常者でもない。普通でもなければ異常にもなれない日々。

よきかな、川の流れのように

思い返せば『本当は嫌だったけど従う』ことの積み重ねだった気がします。

 

なんでも姉と同じことをやらされては「なんでお前はできない」と言われるばかりで、でもそんときは個々の家庭の実情とか、わかんないじゃないですか。「それは似合わない」「あれはダメ」「これにしろ」と言われてそれが正しいと思っていました。例えば中学校のときバレーボール部だったんですけど、本当は吹奏楽部に入りたくて、でもお姉ちゃんがバレーボール部のキャプテンでエースだったから、流れ的にバレー部に入る、みたいな感じになってて、入って。でも背も小さいからできるポジションもなくて顧問にバカにされてずっと補欠で、しかも勉強もあまりできなかったし、バレー部の、周りの子たちは成績がいい子ばかりで。その子達にもバカにされて。それでも辞めなかったのは、なんでだっけ?うーん、でも中学校では最初に入った部活を辞めちゃいけないみたいな風習があって、それで辞めれなかったのもあると思うんですけど。とても、とにかく辛かったですね。

 

気がつくと堰を切ったように流れ出た誰にも言えなかったドロドロを目の前の子綺麗なおばさまがウンウンと大きく頷いて聞いてくれてる。

 

「つらかったですよね。でもそれは全部無駄じゃないんですよ。むしろそんなつらいことを乗り越えた。頑張ったんだって。それを今乗り越えたんですよ」

 

ウンウンと私もおばさまのマネをするようにウンウンと頷いた。

それは知ってるんだよな。

自分の中でグツグツ煮込みに煮込んで寝かせてドロドロになりきった思考をやっと人に言葉にできて、自分で自分に同じことを言い聞かせてきた。他人に言葉にされるとそれはそれで「やっぱり自分は間違ってなかった!」と思えた。泣きそうで泣けない、二日酔いで吐きそうで胃液しか出ない時に似ている苦しさを感じた。まだ言葉にすべきドロドロが待ち構えている。

 

このドロドロはいつになったらサラサラと川の流れのように流れてくれるのか。

流れたら自分はどうなっちゃうんだろうか。

もしかしたら千と千尋の神隠しのように神様が出てきて

「・・・よきかな・・・」

と言える日が来るんだろうか。