左脳、死んでも生きてるってよ

障害者でもないが健常者でもない。普通でもなければ異常にもなれない日々。

姉という正解、妹という不正解。

私には3歳上の離れた姉がいる。

よく映画やドラマで見られる姉妹関係は、姉は責任感が強いため自己犠牲にしがちで優しいが引っ込み事案で不器用。妹は真逆で天真爛漫、自由奔放で人見知りせず世渡り上手。

 

これを観た時憤りを感じた。

我が家はこの真逆。

 

妹である私は天真爛漫のて、もない。人見知り、不器用なのに責任感が強く自己犠牲にしがちだが努力は報われないしそのせいで自己嫌悪に陥って自己評価が低く友達が少なく異性にモテない。姉は責任感のせ、もない。自由奔放、自己中心的、器用で世渡り上手で友達が多い。

 

姉のエピソードは尽きない。なにかしてもらったら代わりに金品を要求されること。私が買った服を姉が1番に着ること。晩御飯のお肉が多い・大きいほうは譲らなければならないこと。重い荷物は私が持つこと。待ち合わせは最低でも20分遅れてくること。自分が待たされると怒ること。人の話を聞いてないくせにこっちが話を聞かないと怒ること。そしてそれらのことは全て覚えていないこと。

 

何度も思った。

「産まれたことをなかったことにしたい」

 

妹は不器用なくせに持ち前の責任感で人に頼ることができず、努力と思い込んだ意味のない自己犠牲が自己嫌悪で下がる自己評価、おかげで、異性になめられてモテない。果てには病へ。

まるで不正解の塊が擬人化したみたいな己が許せなかった。姉の存在によっていつもいつも自分の存在が「不正解」のような気がした。

 

しかし、「不正解」を好んでくれる人がいた。「不正解」だから好んでくれる人ができた。それだけで今までが全部もう「正解」になった。

 

私は不正解じゃない。不正解じゃないと思って良い。むしろみんな不正解だ。

不正解が集まって正解になるのかもしれない。

 

最近は姉がごはんを奢ってくれる。

今のところ金品を要求されてはいない。