左脳、死んでも生きてるってよ

障害者でもないが健常者でもない。普通でもなければ異常にもなれない日々。

2019年、だからって。

2019年

 

あけましてなにがめでたいことか。

動悸、息切れ、酒、酒、酒。

 

年が変わっただけでやることは変わらない。

1時間働いた対価は1000円、40分近いクレーム。鳴り止まぬ電話。

 

昼食は食べない。太ったし、弁当をつくる気力はなかったし買い食する金もない。寝る。

 

貯金もない。去年得たのは脂肪と増える睡眠薬。しかし、新しい友達や出会いもあったり、久しい友達とまた会うようにもなった。

 

母親は相変わらずヒステリックで、少しでも自分の思い通りにいかないと発狂する。それは自分の縄張りを奪われて威嚇してる動物そのもので、なんだか哀みすら感じた。だから私はひたすら無になる。お地蔵さんもこういう気持ちなのかな。いろんな人の願いや祈りを頼まれすぎて無になる。お地蔵さんになれるかもしれない。

 

正月からも母親ひヒステリックフルスロットル。そして祖父母という加勢もあり、やれ孫がいたらどうとか、結婚は一度はしろとか、今はおかしい昔は良かったとか、もう言葉の意味を失いかけている言葉をただぶつけられて無になった。読んでる人もきっと無を自由自在に操ることができるお地蔵さんがいらっしゃることだろう。

 

しかもこれに追い打ちをかけるようにお付き合いしている恋人のメンがヘラりだした。情緒が安定しているところを好きになったのだが、私があまりにも金がなく甘えてくるし、心を許しすぎて相手に対して努力をしないので「俺はサグちゃんにとってなんの存在なのか」と涙を流し始めた。

 

急遽訪れる無。

いや、無になっちゃいけないだろここは。

他人に対して、どれだけ楽をしていいのか、どれだけ努力をしなきゃいけないのかもうエラーが出た。その果ての、無。

心を許してること、自分を大切にすることと他人を大切ににすることの比重が全くわからなくなった。他人を大切にすると自分が疎かになるし、自分を大切にすると他人を大切にできない。

 

どうしてんのみんなマジで。

とりまバイト終わったから現地解散。