餃子のネオン、10万円の花火で笑おう
餃子の文字のネオンがピンクに点灯して喜んだ。
うちにも餃子のネオンが必要になるかもしれない。
乗り慣れない電車を乗り継いで初めて降りる駅になぜか魚がたくさん泳いだ帽子をかぶった先輩が「おうよ」とガードレールに腰掛けていた。
まるで昨日あったみたいに「おうよ」と言ってくれたのは嬉しく、お互い月日の流れを辿った。3年くらいか。その人は大学の先輩で、わたしの作るものを評価してくれた1人であった。
「さぐ面白いね」
この言葉だけ飯が食える。
わたしはそれぐらい「自分が面白い人間でなくてはならない」と思っていた。
そこから月日が経ち病の各駅停車からうん年。もう「バイト辞めたいよー」とTwitterやってる場合じゃなくなってきた。
先輩は言った。
「ここで体調悪くなってよかったってことじゃないの?このまま健康だったらそのまま働き続けられて社員にならないかとか言われて流されて社員になっちゃったりしてやりたかったことなんて忘れて忙殺されるだけだろ?ここで向き合えるのはチャンスってことじゃないのー?」
ピンチはチャンスとは、ここか!?
やりたいことをやらないとストレスで死んでしまうような、そんな弱い生き物だ。やりたくない事をやり続けると、病になってしまう生き物だ。
ならば、できることから、デカい夢は見ないで明日の夢を見よう。ビックマウスじゃなくて普通のマウスで話そう。
「コロナ終わったら花火あげるのもいいよな。これくらい(直径30cmくらい?)の花火、10万円くらいなんだよ。金貯めてさ、10万円を空に打ち上げて火花散らして消えんだよ!やべえよな!」
「10万円を1回空にぶち上げて火花と煙になるとかやべえっすね」
「やめろ、貯めなさい」先輩の奥さんの鶴の一声でそれはきっと実現しないだろう。
なあ、先輩。10万円も気にならないくらい、でも大金持ちじゃないくらいには我々稼いでさ、わたし1発で、先輩1発で、2発、花火上げようよ。
それ見ながら酒を飲んで「10万円空に消えたわウケる」って笑おうよ。
バイト退職でワンチャン狙いたいって話をすごく長く書いた
どこもかしこも人工的な光に囲まれたまま唯一生身の人間たちがぐるぐると迂回している。
わたしは水族館のギラギラと群れて舞うイワシを思い出す。
イワシ。
魚、高いんだよな。
生身の方々は忙しく、張り付いた顔で関節をフル活用して客、という生身に張り付いては離れて、張り付いては離れて。
そんなこんなを見ているわたし。
わたしは一体なんなの。
スチールの眼鏡をかけた猫背の社員を視線から逃さない。走ったり首をカクカクさせたり、パソコンをカタカタさせたり、ふと目が合うと黒目が真っ黒なのだ。一点の光もない。真っ黒な丸い目が眼鏡を通して何も読み取れない。黒い画用紙を丸く切って貼り付けたみたい。
くっ。
人差し指を折り曲げて眼鏡をあげる系。
片手全部を使って眼鏡をあげる系もたまらない。
人差し指と親指で持ち上げるように眼鏡を上げる系も捨てられない。
眼鏡は奥深い。
あれ、何言ってるんだっけ。
マスクをして眼鏡をしたその人物を視線から逃さない。逃がさない。なぜか、どうしても。
なにもかも事務的で感情を失ってしまったロボットみたい。A.I.を見て死ぬほど泣いた記憶を辿って哀愁を感じて、わたしが命を吹き込みたい。わたしが、ほかでもなく、わたしが。
とんだポエっちゃってポエっちゃってもう嫌だ。また何度目かの無職が近づいていて少しおセンチになったり突然叫び出したくなったり、情緒が赤ちゃん。いや、赤ちゃんのほうが下手したら安定しているかもしれない。
つまり、退職するバイト先の社員に爪痕を残したい。言ってしまった。こんなにポエってたのに。一行で終わることをこんなにポエっちまった。
妄想は無料無法。
生きていることが不注意で
起きるとそこは戦場だった。
「こうやって普通の人が誰かを殺して『兵士』になって相手も誰かを殺して兵士になっていくのね」と誰かが言った。
女とはバレないようにしなくては行けない。
菅田将暉とその仲間と心理戦の殺し合い。でも菅田将暉、あなたのことが好きなの。愛してるの。
ふいに海に飲み込まれてそこはビーチ。
実家で暇してた犬も連れてウォータースライダー。犬、おまえ泳げたの!?
ハワイの家族と仲良くなって「アロハ〜」
犬と泳ぎ方、サーフィンを教えてもらった。またそこからみんなでウォータースライダー。
起きた。怒涛のカオス忙殺土日を切り抜け、やっとまともな2連休。
「わたしは年収1100万円だからこんなものいらねえんだよ!!」となぜか年収マウント取ってきて逆ギレしてきたババァを思い出し、イライラ。10時。セブンイレブンで印刷しなきゃいけないものがある。ついでに八百屋さんとドラッグストアにも寄ろう。
よくわかんないけど11時になってデカいエコバッグ集めてセブンイレブン、八百屋、銀行、ドラッグストア。家。
よくわからないけど13時になっちゃう。
13:30からツイッタ友達に教えてもらった心療内科を予約している。ほんとは14:30なんだけど、問診票を書かなきゃいけないから1時間前に行かなきゃ行けない。これは心療内科では割と当たり前なんだけど、知らない人もいるんだよな。と思いながらセブンイレブンで印刷した問診票を電車乗りながら書く。
大学時代と社会人になってから体調不良でとメンタル不調がごちゃごちゃ。とにかくいつも電車になると涙が出た。そこからいつもタオルハンカチは欠かせない持ち物だ。
地図では近いはずなのに全然心療内科の名前がない。ビルの看板をぐるぐるみながら汗だくでたどり着いた心療内科はバイト先の目と鼻の先だった。なんでこんなにぐるぐるしたんだ??
「すみません、道に迷ってしまって」年季の入った垂直の全く安らげなさそうな椅子がズラリと揃っている。誰もいない。
受付の人は声が小さい。
結構な量の問診票、あと心理テストを渡されて書く。ちゃんとしてるな、と思って少し安心した。こういうの、就活でも死ぬほどやらされたんだよな。
倒された部屋に清潔感のある国語の先生みたいな聡明そうなおじさん。これもまた、年季の入った木の高い机で結構遠くにいて、その真ん中をビニールシートが区切る。あんまりよく聞こえないところもあったけど聞き返さないのもわたしの悪いクセ。
「大人のADHD」という小冊子を開く。1ページずつ確認されると、わたしは「ADHD不注意」の項目を全て制覇していた。どれも、最近すごく心当たりのあるものばかり。忘れっぽい、スケジュール通りに動けない、途中で集中力が切れる。
「このことで生活で支障が出たことはありますか?」
なんだか裁判みたいだ。
「あります。」
有罪。
時間に厳しい人に怒られる。ミスして怒られも忘れっぽいからまた同じミスをする。そてみ重ねたものが「人としておかしい」のだった。
「不注意によるストレスが減れば睡眠薬も減らすことができるかもしれませんね」
国語の先生みたいだ。
高校の時の国語の先生は、とても優しく、寝ている生徒がいればみんなでいたずらしてお越し、勉強じゃないみたいな語り口だった。
その先生が「わたしの好きな言葉は」黒板に書かれた文字は「過酷」だった。
未だにその意味がわからないまま、20代も後半に差し掛かってしまった。
処方されたADHD不注意の薬は、睡眠薬と一緒に処方してもらったら5200円。あらゆる毛穴から変な汗が出た。
こんなに課金してまで生きる意味はあるのだろうか。5000円、ソシャゲだったらどれだけ強くなれるの?
吐き続ける体液、詰まる言葉。
なんとなくの体調不良が細く長く続いている。
どれもこれも検査しても健康でなんでもかんでもストレスだからもう病院へも行くまい。
今のバイトを辞めたいと上司に伝えると「まぁそういうバイオリズム?とかもあるし辞めるのはすぐできるからシフト減らして調節してみるとか他の求人をみてみるとかやってみるといいんじゃないかなぁ、体調はもちろん第一だからね、辞めてももちろんいいけどすぐできるからね、なんか少し考えてみたらどうかな」
上司も音大出身の人だった。創作についての思いや対人接客に向いてないことを理解してくれた。
けれども、「辞めたい」と思う瞬間にはひとりぼっちなのだ。誰も助けてくれない。
だから、辞めようと思うのにむにゃむにゃと無不満を垂れ流す。
このむにゃむにゃは何回目なんだろう。「辞めたい」と思ったらその気持ちは全く動かないのに、それでもむにゃむにゃ、どうしてもむにゃむにゃ、してしまう。だって目の前の上司にもお世話になったし、周りの人にもお世話になったし、優しくしてもらったこととかを数えるとどうしてもむにゃむにゃしてしまうのだ。
そんなにむにゃむにゃしても、急かす客は話を聞かないし、身なりが汚い客は怒鳴るし、話を聞いていない客は同じことを何度も聞いてくるし、そういうストレスは蓄積されるばかりでどこへも逃げていかない。頭からつま先までストレスというストレスでパンパンになっている。
それでも「申し訳ございません」「お待たせして申し訳ありません」「大変お待たせしました」とぺこぺこすることでしか立ち回れない情けなさ。
気がつくといつもコンビニの酒コーナーにいる。そういうふうにプログラミングされてるみたいにレモンサワー男前500mlを手に取るといつものガチの地雷メイクの女の子の店員さんに渡す。さすがに、涙袋が描きすぎなのでは………とかカラコンが大きすぎなのでは…………そんなことを考えるよりも早くお会計は終わって、冬ではなくなってけどその残像が残ったような冷たい風に吹かれながらプルタブを開ける。
そこらじゅうに空き缶のゴミがオブジェのように鎮座している。
そこらじゅうのすみっこに大人が集まり缶ビール片手に喋っている。
すみっコぐらし、こりゃ流行るのも頷ける?のか??
怒鳴る客、意味を理解しない客、急かす客はゲームのコンピューターみたいにランダムでわたしにダメージを与えて去っていく。
これ、なにしても変わらないんだよな。辞めたい辞めたいと思いつつ、人員が少なくシフトが困窮していることや、そこからさらにもうすぐ辞めてしまう人のことを考えると「いい人と思われたい」センサーが無駄に発動してしまう。辞めたいが、辞めますとはっきり言えない。
だってお世話になってる人を困らせてしまう!しかしわたしが1人で怒鳴られても誰も助けてくれない。小さなイライラの積み重ねが消えるわけでもない。
そもそも人員が少ないのはわたしのせいではないし、それで困ることだって先々わかって会社が対応したことなどわたしに関係ない。わたし1人いるかいないかくらいで状況は変わらない。そしてわたしがストレスで満ち満ちていくことも変わらないのだ。
なにもかもわかっているのに詰まる言葉。
自己犠牲なんてなにも生まないと散々思い知らされているのにこればっかりは。
生理も止まり毎日吐きながら働く意味なんてないのに。どうしたもんか。
酒を飲んでも飲んでも毎夜毎夜越えられない。
睡眠はわたしに厳しい。
越えられない夜ばかり、酒に酔えないことばかり
気持ち悪い。
二日酔いか!?
いや、酒、2缶くらいしか飲んでないよ??
こんな日が続いている。ドドメ色とでも言いましょうか、コンクリートのような空を空っぽの目で見ながらバイトへ向かう。
わたしもこんな気分ですよ、とでも言いたい空。
気持ち悪い、吐き気がする、ついには頭痛。一歩一歩がタイヤを持って鍛錬している星飛雄馬が思い浮かんだ。あんな鋭い、澄んだ目つきではないが。
バイト先に着いても早番の先輩が、「体調、悪い?もう全然早退しちゃっていいからね」と優しいお言葉。なんでアルバイトごときこんなに体調が悪くなってしまうのか。暴飲暴食はしておりませんよ、本当です。白湯をガバガバ飲んでベッドに入るも全く眠れなかった。
一緒にベッドに入っている彼にうめくように「眠れないよ眠れないよ」というと「眠れるよ眠れるよ〜はいはいね〜〜」と言って抱きしめて唱えてくれた。
早退できることになったが、帰り道は土砂降り。
体調が芳しくない自分を責めるようにも庇ってくれているようにも感じる雨だった。
みんな等しくびしょびしょで、灰色の世界を彷徨うように屋根を探していた。
帰ってうどんを作り、食し、しかしまた食事をしたことにより気持ち悪くなる。その繰り返しで昼寝をして風呂に入り、ベッドに入るがまた眠れない。アロマを焚こうが、ひつじを数えようが、錠剤何錠飲もうが、夜を越えられないのだ。
それでも、いや、もう。
もう。
春の日暮れの色になった綺麗な爪は友達が塗ってくれた魔法
労働から睡眠薬6錠、起きるとは11時だった。
急いで洗濯物をぎゅうぎゅうに押し込めて、ピンクの柔軟剤を小さな引き出しに入れる。
15kg太った体には纏える布があったもんじゃない。最近内緒にしていたけれど、バイトできているスラックスは3着も股が裂けた。連続殺スラック事件。犯人は同様、わたし。
真剣に恥ずかしいので誰にも言えない。
「もう終わってる」とInstagramのストーリーに上げたら数人の友達からダイエットのアドバイスがすかさずきた。ありがとう。本当にありがとう。でも、やっぱり、友達でも明らかなほどに太ったってことなんだよね、やっぱりそうなんだよね。本当ありがとう。
久しぶりに表参道に降り立つ。昼下がりなので厚手のニット一枚で平気な気温だ。綺麗な服を着た女の子、ストリートっぽい若い男の子。一応平日のはずだが、人が意外といる。でもあれか、春休みの大学生とかなのかなと思いながらGoogleマップの青い光に翻弄されながら友人の指定したネイルサロンの近くに来た。
打ちっぱなしコンクリートと植物に囲まれた広めの建物は、テラスもあって一見カフェのように見える。よっ!これが表参道。と洗礼された気張らないお洒落に緊張した。10数年ぶりに会った友人は全然見た目が変わらない。色白で華奢で、着飾りすぎないナチュラルな可愛さ。
積もる話がありすぎたが、今年ネイリストになると決めて2月から働いているそうだ。なんたる行動力。
今までの経緯をかいつまんで話すと我ながら「やばかったなぁ」と思い。「そうだよ!がんばったんだね」と力強く元気付けてくれた。「やっぱり落ち着く時期だよね、年齢的に」「そうだね、落ち着いて自分の行き先をなんとなくわかってくるっていうか」
同級生は売れてる、フリーランスになってる子がいる子も知った。「くそ!いやだ!有名になりたい!!全然自分はだめだ!!」と地団駄を踏む。「大丈夫大丈夫、一緒にがんばろうね」
可愛くて優しい!ず、ずるい!
ちょくちょく先輩とやらにチェックしてもらってる彼女もまた、がんばっている。早く、いや、早くなくっていい、ネイリストの試験受かってトップネイリストになっておくれ。いや、君ならなれる、いや、トップとかもはやどうでもいい。どうであれあなたは素敵。なんの心配もない。
仕事と家の往復でしんどい気持ちになっても、ふとちゅるちゅるの爪をみるとハッと自分に帰れる気がする。
春の日暮れのグラデーションみたいな色にしてくれた。
毒親育ち陰キャが美しさに奔走する前夜
という言葉がありますがわたしはまさにそれでありまして休日は絶対に外に出ない、BBQが嫌い、夏が好きな奴が嫌い、バレンタインハロウィンクリスマスありとあらゆるカタカナの輸入文化に対して斜に構えていた。
人が喋っているのを見ると自分の悪口を言われているのではと不安になるし、化粧をしても「どうせ誰も自分なんか見てない」と泣き出す。ストレスで2年涙が止まらなくなり、毎日金縛りにあった。泣いた翌日にはいわゆる「お岩さん」状態でボコ殴りされたんか?というくらい目が腫れて、それもまた惨めな気持ちに拍車をかけた。
男女混合グループを淫乱仮想青春ごっこ野郎たちとなじり、実家が金持ちの奴を恨めしく呪い、顔面が整った人間を「人生イージーモードあざっした〜〜はいはいパパ活がんばってね〜〜」と煽る。
いろんな種類の漆黒で絶望的な気持ちを溜め込んでは膨大な大きさに膨らんでいった。
理由は実にシンプル。自分に自信がない。
小さい頃から「男の子みたい」「お父さんは男の子が欲しかったから」「お前はふりふりの服なんて似合わない」と小さな呪いの積み重ねが頭から爪先まで充満した。「好きな色は?」と言われてもわからなかった。とりあえず、お姉ちゃんはピンクか赤が好きだから喧嘩にならないように「青」と言った。
1年弱で15kgも2人、タイトなジーンズにねじ込む前にボーイズデニムにねじ込みはじめた。大変醜く、重力に負け続けたたるみは「おばさん」そのものだった。自分の体がどうしても好きになれない。手の指から扁平足の足まであらゆるものが「美しさ」から遠いものにしか思えず鏡から目を逸らすばかりだ。
「太ったらなにか他人に迷惑かけてますか?美味しいものをおいしくいただくことはすてきなことですよ」
カウンセラーの先生がいう
そうなのだ。仕事場でもいろんな身長、体型の人がいて、そういう人がデブとか細いとか思わない。かわいい、素敵だと思える。それでも自分は太ったらもう死んだほうがいいと思うし、肌が荒れたらもう終わりだと思うし、自分に対しての美のハードルが高すぎるのは自覚している。でも、本当にそうしないと自分は自分だと堂々とできない。が、そんな日が来たことはない。ずっと便秘がちなことも、小鼻が大きいことも、手足が短く太いことも致命傷かと思うくらいずっと嫌なのだ。基本的に自分は心身共に人よりも劣っているから人よりもっともっと高いレベルてがんばらないと相手にされない、そんな中で見た目の「デブ」というものが加算されたらひとたまりもない。欠陥ばかりが増える気がして気が気じゃない。
それでも冷凍のパスタを無性に食べたくなるし、お昼を食べたのにまた定食とか食べ出したり信じられないくらい頭は「食べる」ことに執着していて怖くなる。
きっとこの価値観の歪みを変えない限り、自分は何億光年先くらいの理想の自分を掲げて追いつくはずもないまま死ぬんだろう。
まだ、もう少し、間に合うか、「自分は自分として生きていることが美しい!」そう思える瞬間を見つけたい。